1979年は「アニメが進化した年」だった? 『ガンダム』放映に『カリオストロの城』公開
富野由悠季監督・宮崎駿監督ともに38歳
富野監督の『機動戦士ガンダム』は、初回放映の平均視聴率は5.3%と伸び悩みました。富野監督が苦闘する一方、人生の岐路に立っていたのが宮崎駿監督でした。その頃の宮崎監督は、東映動画(現在の東映アニメーション)時代からの盟友、高畑監督の『赤毛のアン』に「場面設定・画面構成」として参加していましたが、劇場アニメ『ルパン三世』(1978年)の次回作の監督がまだ決まっていないことを知り、決断を迫られます。
その結果、宮崎監督は『赤毛のアン』の制作チームを離れ、劇場版『ルパン三世』の新監督に就任します。劇場公開は12月とすでに決まっており、制作期間はわずか5か月間しかありません。製作サイドが用意していた脚本を捨て、宮崎監督は超人的な仕事ぶりで絵コンテを描き上げ、『ルパン三世 カリオストロの城』を完成させます。
あまりにも制作時間が少なかったため、カリオストロ城をめぐる仕掛けなどのアイデアは、宮崎監督が参加した東映動画時代の劇場アニメ『長靴をはいた猫』(1969年)や『どうぶつ宝島』(1971年)から流用されています。宮崎監督が「大棚ざらえ」と『カリオストロの城』を語っているのは、そのためです。しかし、天才アニメーター、宮崎監督の才能が、スクリーンに炸裂した100分間でした。
この年、宮崎監督、富野監督はともに38歳。太平洋戦争の敗戦間際の1941年に生まれ、学生運動が盛んな時期に多感な青春期を過ごし、宮崎監督は東映動画に、富野監督は虫プロに就職しています。その後さまざまな職場を体験し、少なくない挫折も両者は経験しています。アニメ作家としてタイプはまったく異なる宮崎監督と富野監督ですが、どちらも青春時代の残り火をたぎらせるようにして、後世に残るマスターピースをものにしたように感じます。
歴史改変ものの金字塔『戦国自衛隊』
1979年はアニメ作品だけでなく、実写映画の傑作も誕生しています。洋画ではリドリー・スコット監督のSFホラー『エイリアン』が、日本でもヒットしました。CMディレクター出身のリドリー監督の映像美に加え、H・R・ギーガーが造形したエイリアンが強烈なインパクトを与えました。逃げ場のない宇宙船を舞台にした、新しい恐怖に観客は震えました。
沢田研二さんが主演した映画『太陽を盗んだ男』も、話題となりました。ジュリーこと沢田研二さん扮する中学教師がプルトニウムを盗み、原爆を個人で製造。当時はまだ実現されなかったローリングストーンズの来日公演を日本政府に要求するという犯罪サスペンスです。長谷川和彦監督はデビュー作『青春の殺人者』(1976年)と『太陽を盗んだ男』の2本しか映画を撮っていませんが、今も「伝説の監督」と称されています。
千葉真一さんが主演した角川映画『戦国自衛隊』も1979年の公開です。半村良氏のSF小説を、人気青春ドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)の斎藤光正監督と脚本家の鎌田敏夫氏のコンビが映画化したものです。戦国時代にタイムスリップした自衛官たちが、織田信長に代わって天下統一を目指すという破天荒な展開に加え、アクション監督を兼ねた千葉真一さんと長尾景虎役の夏八木勲さんのふんどし姿が忘れられません。若き日の真田広之さん、薬師丸ひろ子さんも出演しています。
もし、坂本龍馬がこの時代に生きていたら、「新しい日本文化の夜明けぜよ」と口にしていたかもしれません。
(長野辰次)