いつから「ザク」は「ザクII」になったの? 歴史を振り返ると見えてきた誤解のワケ
アニメ『機動戦士ガンダム』では「旧ザク」と「ザク」と呼ばれていたのに、いつの間にか「ザクI」と「ザクII」に名前が変わりました。それは緩やかに変わっていったのですが、そのはざまで誤認する子供もいたようです。
後出し設定により名前が変わってしまった「ザク」
時に、名前を誤ったまま覚えてしまうということはよくあります。それには間違えた理由というものがあるわけで、さかのぼって調べてみると、意外な事実が見えてくることもありました。
筆者が最近になって気づいたことのひとつが、「MS-06」を「ザクII」と呼ぶようになったことに関して、人によってタイムラグがあるということです。これはどうしてでしょうか。
『機動戦士ガンダム』放送中まで話を巻き戻しましょう。この時は「MS-06」といったMS(モビルスーツ)の型式番号は設定されておらず、ザクは「ザク」と呼ばれていました。このザクにMS-06という型式番号が設定されたのは、劇場版第1作『機動戦士ガンダム』のパンフレットといわれています。
ちなみに旧式にあたる「MS-05」は、TV版では特に名前の設定がされておらず、唯一の登場話である第3話「敵の補給艦を叩け!」では、「ザク」としか呼ばれていません。もっとも当時の設定資料には「旧ザク」と記されており、雑誌などでは「旧ザク」として表記されていました。
こうした状況に一石を投じたのが、「ガンダム」世界の設定基礎となった書籍「ガンダムセンチュリー」(みのり書房/1981年)です。この書籍によってさまざまな設定が考察されました。その中でザクに関しても、その後の設定に関する様々な考察が掲載されています。
ここで、これまで「ザク」と呼ばれてきたMSは「MS-06 ザクII」とされ、旧ザクは「MS-05 ザクI」となりました。さらにザクIIのバリエーションもいくつか発表され、外見的には変わらなくてもTV版に出てきた汎用型が「MS-06F」、地上用に生産されたものは「MS-06J」となります。
本来なら、雑誌主導で作られた設定は公式とは言い難いのですが、まだ時代がゆるやかだったこともあって、いつしか「ガンダムセンチュリー」に書かれた記述が公式のものとなりました。ただ、型式番号は公式で独自に進めていた部分もあり、違った部分も出てきてしまいます。しかし、現在では「ガンダムセンチュリー」で発表された型式番号が正式なものとなりました。
もっともこういった経緯があっても、ガンダムファンすべてが「ガンダムセンチュリー」を読んでいたわけではなく、一般的には「ザク」と「旧ザク」という呼び方が普通だったと思います。型式番号や「ザクII」といった呼び方は、メカニックな部分に魅力を感じる一部の人が使っていたというところでしょうか。
しかし、この情報が一気に浸透する出来事がありました。それがバンダイで発売していたガンプラ、いわゆるガンダムのプラモデルで新たに発売できるMSがなくなったことです。この状況を打破するために生まれたのが、「ガンダムセンチュリー」で文字設定だけあった「MSV(モビルスーツバリエーション)」でした。
映像では出てこなかったMSVをよく知ってもらうため活躍したのが、模型店などで販売されていた「模型情報」という小冊子です。こういった小冊子でMSVのくわしい設定が公開されました。その設定のもととなったのが前述の「ガンダムセンチュリー」で、このことがきっかけで一気にMS関係の設定は広まることになります。
もっとも、興味のない人間にはチンプンカンプンな情報だったのか、このMSVがきっかけで、とある名前を誤認する子供たちが現れることになりました。