実は原作改変にあらず 昔の特撮やアニメはなぜあんなに同題マンガとは別物だったのか
「原作者が描くマンガ」が「原作マンガ」とは違うワケ
平山さんは、いまなお続く特撮作品「仮面ライダー」シリーズの第一作『仮面ライダー』(1971年)も、プロデューサーとして作品制作を手がけています。そして、その原作者となったのが、漫画家の石森章太郎(後に石ノ森章太郎へ改名)先生です。
ファンの間では周知のことと思いますが、『仮面ライダー』の原型である『マスクマンK』の頃には石森先生はまだスタッフとして参加してはおらず、『仮面天使(マスク・エンジェル)』、『十字仮面(クロスファイヤー)』という企画案を経て、これ以降に参加しました。
石森先生のデザインを得ることによって企画案は大きく動き出し、『仮面ライダー』へとつながっていくわけです。その流れのなかで、石森先生が描くマンガを講談社のマンガ雑誌「週刊ぼくらマガジン」(後に廃刊、これにともない「週刊少年マガジン」へ移籍)にて連載することになりました。
つまり『仮面ライダー』のマンガ版は、原作というよりも「原作者によるマンガ」といったポジションにあります。こういった背景を知らないと、「TVとマンガで内容がどうして違うの?」ということになるのでしょう。
そのため、あくまで子供向けとして爽快感を追求した特撮版と、そのTVで描けないようなシリアスなドラマを描いた「萬画版」という、それぞれのジャンルを生かした作風となったわけです。こうしてお互いに影響を与え合うことで名作『仮面ライダー』は生まれました。
この『仮面ライダー』の成功が、後に続いていく東映制作の特撮番組の基本パターンとなります。「原作:石森章太郎」「プロデューサー:平山亨」という黄金の組み合わせはこのようにして生まれ、次々と新たな名作を誕生させていきました。
こうした成功例が影響したかは不明ですが、この時代に似たような経緯の作品があります。それは永井豪先生が原作を担当し、東映動画(現在の東映アニメーション)が制作したTVアニメ『デビルマン』(1972年)です。この『デビルマン』も原作者と制作会社による二人三脚からスタートしました。
もともとは永井先生が「週刊ぼくらマガジン」で連載していたマンガ『魔王ダンテ』をTVアニメ化するというところから企画は始まったそうです。これが紆余曲折あって「悪魔が主人公のヒーローもの」という骨子のもと、『デビルマン』が誕生しました。
こういった経緯から永井先生によるマンガ版は、「週刊少年マガジン」で連載が決定します。『デビルマン』が『仮面ライダー』と大きく異なった点は、マンガ版とTVアニメ版に類似点が少ない点でしょうか。これに関しては作家性の違いが大きく影響しているかもしれません。
永井先生はライブ感を重視していて、結末を考えずに面白い方向性を常に模索して作品を作り上げます。代表的な例として、TVアニメ版には出ない「飛鳥了」の存在が挙げられるでしょうか。もともと永井先生は殺す予定だったと述べています。それゆえTVアニメ版では登場していません。
しかし、この飛鳥了の存在がマンガ版では物語に大きな影響を与えたわけで、そう考えると存在そのものがふたつの作品の分岐点ともいえるでしょう。逆にTVアニメ版では徹頭徹尾、デビルマンをヒーローとして描いた娯楽作として高い評価を得ることとなりました。そして、この『デビルマン』の成功が、後にロボットアニメブームという大きな波を生み出す『マジンガーZ』(1972年)を誕生させるわけです。
現在では人気マンガをTVアニメ化するという手法がほとんどで、こういった映像作品と作家の二人三脚のような作品はそれほど多くありません。70年代という作り手側も手探りだった時代ならではの手法なのでしょう。逆を言えば、ひとつの作品で同時にふたつの物語を楽しめたといえるかもしれません。
(加々美利治)