声優を目指すなら筋トレから? オーディション体験で気付いた、大切なこと【この業界の片隅で】
アニメ業界の片隅で生きる著者・おふとん犬が、業界の片隅で拾ったさまざまな話題を取り上げて解説します。第7回は、とある新番組に向けて行われた、出演声優オーディションの体験記の続き。自分自身も録音ブースに入って演じてみることで、気付いたことなどをお話します。
素人でも分かる「上手に読もうとしているだけ」の声優
アニメ業界の片隅で生きる著者・おふとん犬による、とある新番組に向けて行われた、出演声優オーディションの体験記の続編です。審査員として参加した後、自分自身も録音ブースに入って演じてみることに。
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とある新番組のスタッフの一員として、出演声優オーディションで審査をした時の出来事です。審査員のひとりとして臨むにあたって、どのような基準で良し悪しを判断すれば良いのか、事前に監督や音響監督に尋ねていました。「個人的な好みや感性でかまわないですよ」というお答えしか得られなかったのですが、いざ当日になると、少し聞いているだけで自分なりのポイントはすぐに見えてきました。「せりふの意図をくみ取って演じようとしている」場合と、「文章をただ上手に読もうとしているだけ」とでは、素人の耳にも明らかに違って聞こえるのです。
また、「せりふの意図を演技で表現したい声優」と「頑張っている自分を演技で表現したい声優」の差も、かなりはっきりと感じられました。もちろん、製作側が起用したいと思うのは前者です。冷たい言い方かもしれませんが、声優に限らずどんなスタッフのものであっても、「頑張ってるアピール」は作品にとって必要なものではありません。「頑張ってるアピール」が前面に出ている方の演技は、どこか前のめりで、どうしても自然に聞こえないのです。
この「頑張ってるアピール」の無用さについては、とある映画俳優の方から聞いた話とも一致します。彼の考える最も難しい演技は、「ただ立っていること」と「ただ歩くこと」のふたつだそうです。ただ立っている時は、どうしても自分を演技でアピールしようとして無駄に動いてしまう。ただ歩いている時も、同じ理由から、無意識のうちに不自然な姿勢や落ち着かない視線の運びになってしまう。
「これらはすべて、不要どころか、監督による演出意図を阻害しかねない余計なものである。立つことと歩くことは基本中の基本だが、演技に対する考え方の根幹にも関わってくるもので、実は一番難しいのだ」と。そういえば、舞台演劇を観ていると、役柄に関わりなく身振り手振りが目立って多い俳優とそうでない俳優がいることに、気が付くことがあります。
もちろん、私は演技の専門教育を受けていませんので、お話ししているのは個人的な所感に過ぎず、映画俳優の方のおっしゃった演技論の正誤も判断することはできません。それでも、こうは言えるのではないでしょうか。「それっぽいだけ」でも「上手に読むだけ」でも「頑張ってるアピール」でもないとしたら、演じるとはそもそもどういうことなのか、常に模索していく必要がある、と。