なぜドラマの原作改変が多く、アニメは少ないのか 「媒体の違い」だけではない?
『セクシー田中さん』の一件では、日本テレビと小学館、双方の報告書の内容から、原作者である芦原妃名子さんの「原作に忠実にしてほしい」という要望が伝言ゲームのなかで握りつぶされていく様が明らかになりました。しかしそもそも、なぜドラマの脚本は改変されるのか、近年原作に忠実な作品が多くなったアニメと対比して考察します。
ドラマは役者をメインに据えて作られる
2023年10月から放送されたドラマ版の改変をめぐって、原作者の芦原妃名子さんが死亡する事態となった『セクシー田中さん』の一件では、日本テレビと小学館、双方の報告書の内容から、芦原さんの「原作に忠実にしてほしい」という要望が伝言ゲームのなかで握りつぶされていった過程が明らかになりました。しかしそもそも、なぜドラマの脚本は原作の内容から改変されるのか、近年原作に忠実な作品が多くなったアニメと対比して考察します。
「あて書き」と言う言葉をご存じでしょうか。これは演劇や映像作品で、「その役を演じる俳優をイメージしながら脚本を書く」ことを指す言葉です。それだけ役者の持つイメージや演技力、存在感が重視されており、作品の中核を担う存在として扱われているのです。
ドラマ視聴者も主に役者目当ての方が多いため、脚本を書く際にはより役者が目立つように、映えるように気を使うこととなります。また、俳優事務所との関係性を良好に維持するために、事務所からの要望に応えるのも脚本家の重要な仕事となるのです。
これがオリジナルドラマであれば特に問題はありませんが、原作がある場合は難しい状況が生じます。マンガはセリフと絵で構成されるメディアですが、ドラマは映像と音声で構成されています。構成要素が異なるため、現実の人間がキャラクターを演じる際には、ある程度ずれが生じてしまうのです。TVドラマ『ガラスの仮面』で野際陽子さんが「月影先生」を演じたときのような、「本物」がこの世に現れる事例は極めてまれな出来事と言えます。
「媒体が違うのだからずれが生じるのは仕方がない。だから好きに改変してもいいのだ」
そう考えている脚本家を始めとするクリエイターは、日本テレビ側の報告書を見る限り、間違いなく存在しているでしょう。立場を変えれば「傲慢」と取られかねない姿勢が、ひとりの貴重なクリエイターの死につながったことは、残念などという言葉では表しきれません。
映像化に至るほど人気を集めたマンガや小説であれば、その作品には必ず骨子となる部分があります。何らかの都合で改変しなければいけない状況であっても、そこさえ守ればいいのです。代表例としては『孤独のグルメ』が挙げられるでしょう。原作が2巻しかない一方で、ドラマは10シーズン以上も続く人気作ですが「おじさんが誰にも邪魔されずに自由に食事をする」というコンセプトは、継承され続けています。マンガ原作のドラマが目指すべきはこうした方向ではないでしょうか。