憧れの『ドラクエ4コマ』作家 プロデビューの夢を叶えた、たるみ先生インタビュー
『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』のファンで、自らも読者投稿の企画に応募。見事プロデビューを果たした、たるみ先生にインタビュー。投稿時代や、プロ作家になってからの思い出を語ってもらいました。
ゲームを知らなくても面白かった『ドラクエ4コマ』
1990年にコミックス第1巻がエニックス(現:スクウェア・エニックス)から発行された『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』(以下、ドラクエ4コマ)は、ゲームやマンガが好きな子供たちから絶大な人気を得ました。
読者投稿の企画「ドラクエ4コマクラブ」もファンが多く、投稿者からプロデビューした作家は後に「月刊少年ガンガン」「月刊少年ギャグ王」などの「ガンガン系」マンガ誌でも活躍。個性豊かな『ドラクエ4コマ』の作家は、読者にとって憧れの存在でした。
当時、『ドラクエ4コマ』の熱烈なファンであり、自らも投稿者として作品を執筆。やわらかで愛らしい造形のキャラクターが特徴で、投稿者時代から独自の存在感を放っていた、たるみ先生にお話を聞きました。
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ーー『ドラクエ4コマ』をどのように知りましたか?
弟が持っていた単行本を見て知りました。もしひとりっ子だったら知らないままだったと思います。当時、ゲームはほとんどやったことがなくて、ドラクエがどういうゲームなのか知らないまま何となく手に取りました。
でも、『ドラクエ4コマ』って元ネタが分からなくても面白いんですよ……! 当時1~3巻まで出ていましたが、弟の本をかなり読み込んでしまったので自分用の単行本も新たに買い足しました。
4巻の発売日があまりにも待ち遠しく、いざ当日になるとドキドキで、学校帰りに友人に書店へ付き合ってもらい購入したことをいまだに覚えています。
ーー『ドラクエ4コマ』を投稿し始めたきっかけはありましたか?
『ドラクエ4コマ』単行本の巻末に読者投稿作品が載っていた頃は、掲載倍率が高すぎて載る気がしなくて……。ただ、読者コーナーが盛り上がっていて楽しそうな雰囲気は感じていたんですね。その折に「ドラクエ4コマクラブ」が設立され増ページになったので、「これなら載せてもらえるかも!?」と投稿を始めました。
元々は、当時あった小学生向けの少女マンガ誌「ぴょんぴょん」のギャグマンガ枠を志望していて、投稿する予定もありました。親が厳しいこともあり、小学生の頃に読めたマンガは小学館の学年誌と学研の学習・科学が主でした。そのため自然と児童向け作品を志望するようになったのだと思います。
ただ実際に『ドラクエ4コマ』を投稿し始めたらそちらに夢中になってしまって……ここで大きく運命が変わりました。
ーー初めて入選した作品を覚えていますか?
ホイミンネタで、『もちろん人間』というタイトルです。投稿時に原稿が半ページ空いたため穴埋めのつもりで描いたネタだったのですが、まさかの「キングスライム賞」をいただきとても驚きました。
今思えば、「自分が面白い」と感じるネタと「他の人が面白い」と思うネタには大きな差異がある、ということを初めて体験した瞬間かもしれません。それ以来、面白いかどうか迷ったら、とにかく描いて投稿するようになりました。
ーー初めての投稿から入選までどのくらいかかりましたか?
2度目の投稿で初入選させていただきました。「月刊少年ガンガン」本誌の「4コマクラブ」のページをチェックしていた時は自分が描いた作品だと気付かなくて「変な絵だな~」とスルーしそうになったのですが、一緒に見てくれていた友人に「いや載ってるよ!!」と教えてもらった思い出があります。
ーー副賞の4コマ専用原稿用紙は、実際に使いましたか?
もったいなくて一度も使えませんでした……! 今思えば数枚だけ記念に取っておいて、あとはパーッと使えば良かったです。
ただそれとは別に、印刷ミスで副賞にならなかった4コマ専用原稿用紙というものも存在しまして、それを編集部からたくさんいただきました。枚数が多かったのでそちらはネーム用紙としてめいっぱい使いました。マンガ原稿用紙にネームを描くだなんて贅沢ですよね。投稿用に作られただけあって、とても描きやすい紙でした。