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憧れの『ドラクエ4コマ』作家 プロデビューの夢を叶えた、たるみ先生インタビュー

マンガを描くのに反対していた両親の、手の平返し!?

「マグミクス」読者にプレゼント!たるみ先生サイン入り色紙
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ーーご家族は、『ドラクエ4コマ』の投稿を応援してくれましたか?

 家が厳しくて、両親からの理解が得られないまま投稿を続けていました。猛反対とまではいきませんでしたが「マンガなんて……」といつも渋い顔をされていた印象ですね。

 ただ、デビューが決まってからは4コマの単行本を読んでくれたりあまつさえ親戚中にばらし始めたり(笑)。大きな手のひら返しが来たので、「プロ」という肩書きは非常に大きいものなんだなあと感じました。デビュー以降は仕事という大義名分を得たこともあり、だいぶ描きやすい雰囲気になりました。

ーープロデビューした経緯を教えて下さい。どのように編集部から連絡が来ましたか?

 元々、期限を決めていて、2年間でプロデビューできなかったら諦めて他誌に投稿しようと考えていました。

『ドラクエ4コマ』の投稿をし始めた時に半年間でノート5~6冊分ほどネタを描き溜めたのですが、1冊30枚のノートだとしても1か月に120本ネタを出しているんです。半年だと120×6か月で720本以上。ずっとそのペースでネタ出しをするのは、さすがに難しいかなと思っていて。

 もちろん投稿しながらもネタは継ぎ足していましたが、そもそも2年で芽が出なければデビューも厳しいだろうと判断していました。

 その2年が近付いているタイミングでエニックス出版局さんからデビューのお電話があったのですが、投稿時代が長かったのでちょっと現実とは思えなくて……。電話を切ったあとも「今の電話、本物だったのかなあ~」とふわふわした気持ちで、たまたま自宅にいた友人にしっかりしてよ、と励まされていました。

ーー初めてプロとして『ドラクエ4コマ』に自分の作品が掲載された時の気持ちは?

「うれしい!!」「すごい!!」です。

 自分のマンガが本当にドラクエ4コマに載ってる……セリフに写植が入っていてあおり文もあって、「えええ……すごおおおお……!」と感動ばかりしていました。あと自分自身が『ドラクエ4コマ』のファンでもあるので、大好きな本に載せていただけたことが誇らしかったですね。

 自分のページのひとつ前が池野カエル先生で、ひとつ後が牧野博幸先生だったので自身の作品の拙さに悶えましたが、これはどの先生に挟まれても変わらなかったと思います。

 後、ネタ出しがものすごく厳しくて、10本に1本も通らないんですよ。50本以上出しても規程のページ数に届かないときはもうダメかと思いました。何とかくぐり抜けられて本当に良かったです……。8巻でデビューさせていただいたのですが、マーニャとスタンシアラ王のネタ『ウケなかったね』は今でも気に入っています。5コマ必要だったので投稿時代は使えずに温めてきたネタでした。これが通った時はとてもうれしかったです。

ーー楽屋裏(作者のあとがきにあたるページ)で「彼氏はいますか?」という質問に答えていらっしゃったのが印象に残っています。

 回答はぼかしているのですが、そもそもなぜその質問に触れちゃったんでしょうね……。当時、本当に質問が多かったので、答えないわけにはという気持ちになったのかもしれません。今ならスルーすると思います。編集さんには止めて欲しかった(笑)。

 他にも読者の方からの質問といえば「男性ですか? 女性ですか?」という問いをファンレターで数件いただいたことがありました。自分の女子まるだしの作風から男性っぽさを感じ取る人もいるんだ……! と感動したおぼえがあります。面白かったです(笑)。

ーーゲームを実際にプレイする必要もあったでしょうし、ネタ出しや作画などでお忙しかったと思います。作家時代、どんなふうに時間をやりくりされていたのでしょう?

 当時は学生だったので、学業の時間が圧迫された感はありますね……。睡眠時間も削っていました。ネタがなかなか通らず作画時間が押してしまい、マンガが描ける友人に手伝ってもらうこともよくありました。マンガを読むのも描くのも好きな友人が身近に複数人いてくれた点は恵まれていたと思います。技術面以上に精神面で大きな支えとなりました。

 後はゲームが面白すぎて、ネタ出しそっちのけでやり込んでしまったケースもありました。4コママンガのお仕事をしていなければ出会えなかったゲーム作品がたくさんあります。

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