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「秋葉原」が変化を続けるナゾ 約20年前にあった「大きな転機」とは

秋葉原は、今もアニメやゲームの聖地として知られます。ですが、近年は観光地としての需要が多く、海外観光客の姿が目立つようになりました。また、道端にはコンカフェの呼び込みが所狭しと並んでおり、かつてとは異なる様相を見せています。秋葉原はどのように変化していったのでしょうか?

絶えず変化を続けてきた秋葉原

変わらぬ風景は鉄道だけ? JR秋葉原駅前の交差点(マグミクス編集部撮影)
変わらぬ風景は鉄道だけ? JR秋葉原駅前の交差点(マグミクス編集部撮影)

 秋葉原が、また変わろうとしています。2024年のゴールデンウィーク明けには秋葉原駅構内の「東京じゃんがら」や、電気街口側にあった回転寿司「うず潮」やコーヒーショップ「BECK’S COFFEE SHOP 秋葉原電気街口」が閉店しました。

 しかし、なくなるものもあれば、新しくできたものもあります。代表的な例としては、中央改札前に、「Yostar OFFICIAL SHOP JR秋葉原駅店」が開設されたことが挙げられるでしょう。全長30mにも渡る巨大な屈曲ビジョンの存在感は圧倒的です。

 駅構内でも、現在は新たな駅ナカ商業施設「エキュート秋葉原」の開設準備が行われており、間もなくさらに賑やかな駅になるのは間違いありません。

 秋葉原は、昔からこういう街でした。ついこの間まであったものがなくなり、新しいものが出てきて、数年後に入れ替わる、新陳代謝の激しい街です。1928年、今から約100年前に神田青果市場(やっちゃば)が誕生し、戦後は闇市として賑わいました。この闇市では電気部品が多く取り扱われており、闇市の廃止後は「ラジオストアー」や「ラジオセンター」へと移行します。後に「電気街」と呼ばれる礎(いしずえ)を作ったのです。

 その後は家電が人気の商品となり、その一環としてPCも取り扱われるようになりました。PCを扱うとなれば、ゲームも必要です。PCゲームから家庭用ゲーム、さらにはアニメ関連の商品も扱われるようになり、いつしか「アニメ・ゲームの聖地」と呼ばれる秋葉原になったのです。

 なぜ、このようなフットワークの軽い動きができたのか。それは、秋葉原には小さいビルがたくさんあるからです。小さいスペースを都内としては比較的安く借り、そのとき流行りのものを取り扱うやり方が可能だったのです。

 2~30年ほど前の秋葉原をご存じの方であれば、PCのパーツ店や18禁ゲーム店、同人誌を取り扱う店、グッズを販売する店などが次々と現れ、その一部だけが生き残り、多くは消えていったことが思い出せるでしょう。個性ある思い出深い店が、数多く存在していた時代でした。

【画像】え、ズラリと並んだ女の子たちは何…? これが「現在の秋葉原」の風景です(5枚)

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