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創刊65周年の「りぼん」 ネット普及前、読むだけでなく“人をつなぐ”ツールだった

2020年8月3日(月)、1955年に創刊された少女マンガ誌「りぼん」が創刊65周年を迎えます。「あなたと誰かを”むすぶ“」ことをコンセプトとした記念プロジェクト【りぼんのりぼん】が始動。1980~90年代の「りぼん」読者たちの思い出を、ライターのさくらいみかさんが紹介します。

「りぼん」が人と人をむすんだエピソード

(画像:写真AC)
(画像:写真AC)

 1955年に創刊された少女マンガ誌「りぼん」は、2020年8月3日(月)に創刊65周年を迎え、「あなたと誰かを”むすぶ“」ことをコンセプトとした記念プロジェクト【りぼんのりぼん】が始動しました。

「りぼん」が世に送り出した名作は、一条ゆかり先生『有閑倶楽部』(1981年)、池野恋先生『ときめきトゥナイト』(1982年)、さくらももこ先生『ちびまる子ちゃん』(1986年)など多数。

 1980~90年代、「りぼん」の読者たちはどのようにつながっていたのでしょうか。当時の読者たちの思い出を、ライターのさくらいみかさんが紹介します。

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 毎月発売日が過ぎると、友達に「今月号のりぼん読んだ!?」とあいさつのように言っていた小学生時代。ふろくのノートを使った交換日記の中で、「私は今月どの作品が面白いと思ったでしょうか!? クイズ」を出したり(今思い返すと「そんなの知らんがな」としか言いようがない)、ふろくのメモ帳やシールを交換し合ったり、思い出はたくさんあります。

 以前、筆者が「りぼん」にまつわる思い出をネットで募集し、1000人から集まったアンケートのなかにも「りぼん」が人と人を“むすぶ”エピソードはたくさんありました。

【中学に入ってから、隣の子と「りぼん」をきっかけに仲良しになり、30を過ぎた今でも大親友。よく「りぼん」の話をします。(1985年生まれ)】

【文通相手に手紙を出す際にふろくのレターセットを使ったら、相手からもふろくの便せんでお返事が来て、それがきっかけでマンガの話で盛り上がりました。(1979年生まれ)】

【最新号が出ると友達の家に持って行って、ふたりでマンガの一コマずつ音読していました。(1978年生まれ)】

【友達と『ときめきトゥナイト』ごっこをしていた。(1972年生まれ)】

【「りぼん」をきっかけに、友達が増えた。「りぼん」を毎月発売日に買って、友達の家で一緒にふろくを組み立てたり、マンガを読んで感想を言いあったりしていました。(1989年生まれ)】

 今はSNSを通じて同じマンガのファン同士が気軽につながることができますが、ネット普及以前にも会ったことのない読者同士の交流は存在しました。

 80年代の「りぼん」の、ページの下のほうに掲載されていたコーナー「おともだちがほしい」には、読者が文通相手を募集するひと言コメントが毎月掲載されていました。そこには本物の住所・本名・年齢も記載されており、「みんな自由にお手紙を送ろう!」という、今見るとなんて個人情報ゆるゆるなんだ……!! とツッコまざるを得ないシステム。どんなコメントが載っていたのか、もちろん個人情報を省いていくつか紹介してみると……。

【動物とお菓子がどわい好きな、明るい子がいい!!(和歌山県 13歳)】

【どんな性格の子でも、OKよ!(山形県 小6)】

【私のこと気がるに、吉やんってよんでもいいよ!(大分県 小5)】

【私色黒で~す。南国の子と、お友だちになりたいな。(富山県 中2)】

【学校大好きでェ~す。(山形県 小6)】

【テニス部員よ。ジャッキー・チェンのファンです。(千葉県 13歳)】

 こんな軽~いテンションのものがほとんどです。このたったひと言のコメントがほんとに文通に発展していたのか!? と言いたくなるものも多数ですが、筆者が集計した1000人からのアンケート結果のなかにはこんなコメントがありました。

【文通募集コーナーに載っていた何人かにお手紙を書いて、ひとりの方からお返事が来てしばらく文通が続きました。子供の頃に、とても遠くに住む子と大好きな「りぼん」のお話ができた感激は忘れられませんし、手紙のなかに素敵なイラストがいつも添えてありうれしかったです。掲載されたことでとてもたくさんの方から文通希望のお手紙が来たと書いてありました。大切な思い出です。(1975年生まれ)】

 ネットも普及しきった今となっては貴重なエピソードです。この当時の「りぼん」の発行部数は200万部だっただけあって、やはり一度掲載されると手紙はたくさん届いたようですね。

 このように身近な友達だけでなく、会ったことがない人同士を“むすぶ”役割も果たしてきた「りぼん」は、単なる読み物ではなく、重要な交流ツールでもあったのです。

(さくらいみか)