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どうやって成立した? 色んな意味で凄すぎるジブリ『となりの山田くん』の影響力とは

スタジオジブリ作品『ホーホケキョ となりの山田くん』がとんでもない作品である理由と、海外のクリエイターに大きな影響を与えた功績について解説しましょう。実際に作品を観てこそ、高畑勲監督の凄みを大いに感じられるはずです。

観た人が少ないのはもったいない

映画『ホーホケキョ となりの山田くん』場面カット  (C) 1999 Hisaichi Ishii/Isao Takahata/Studio Ghibli, NHD
映画『ホーホケキョ となりの山田くん』場面カット  (C) 1999 Hisaichi Ishii/Isao Takahata/Studio Ghibli, NHD

 高畑勲監督、いしいひさいちさん原作の1999年のアニメ映画『ホーホケキョ となりの山田くん』は、スタジオジブリ作品のなかでも観た人が少ないと思われる作品です。これまで、地上波では、2000年の「金曜ロードショー」の1回しかありません。

 それは、あまりにもったいないことです。後述するように、本作は海外のクリエイターにも大きな影響を与えてきた、とてつもない名作です。

 その背景にはスタッフの膨大な努力と、高畑監督の明白なふたつの「作る意義」がありました。

●シンプルな絵柄の4コママンガをなぜアニメ映画に?

 そもそも、シンプルな絵柄の4コママンガを、アニメ映画にするという発想からして異例です。書籍『スタジオジブリ物語』(集英社新書)によると、まずスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、1993年に「朝日新聞」連載の『となりのやまだ君』(後に『ののちゃん』と改題)をアニメ化できないか、高畑監督に相談したそうです。

 その際は、4コママンガをどうやってアニメにするのかという話になって終わってしまったものの、後の1996年に高畑監督が「丸や三角や四角を動かすアニメーション本来の楽しいものをやってみたい」と過去に口にしていたことを覚えていた鈴木プロデューサーが、再度『となりの山田くん』を提案し、製作のきっかけになっています。

 他にも高畑監督は『平成狸合戦ぽんぽこ』の完成時に「セルアニメの常識をちょっと外し、いわばラフスケッチの生きのよさを残したような、野趣のある手法で、しかしやはり多くの人に楽しんでもらえる娯楽長編を作ってみたい」と語ったこともあったそうです。『となりの山田くん』は、いわば高畑監督がアニメ作家として「やりたいこと」に挑戦する「実験」でありつつも、同時に大衆向けの娯楽作を目指した作品といえるでしょう。

●膨大な作業の果てにある「ボブスレー結婚式」の凄まじさ

 結果的に『となりの山田くん』はセル画を用いないデジタルでの制作が行われたのですが、本編は常識をちょっと外したどころではない、完全に常識外れだと思わせる内容となっています。

 たとえば、「伸び」をするといった何気ない日常的な描写だけでも、「こんなにシンプルな線で描かれたキャラクターが生きていると思える」という実在感があり、奥行き感や躍動感のあるシーンも展開されました。

 もちろん、そのあまりに実験的で、かつこだわりが尽くされた作画は困難を極めたようです。1コマにつき通常の3倍も作画を必要とし、その総作画枚数はスタジオジブリの前作『もののけ姫』の14万4000枚を超える17万枚にのぼっています。スタッフは何度も混乱に陥り、心身ともども疲弊していったそうです。

 その労力が特に注ぎ込まれたのは、「ボブスレーから始まる結婚式」のシーンでしょう。スピード感とイマジネーションあふれる画は圧巻で、「シンプルな画なのにスペクタクルもある」ギャップもまた魅力的なのです。

●メッセージは「適当」「楽に生きてもいい」

 映画『となりの山田くん』は短いエピソードの連なりではありますが、それぞれの内容は「適当にやっていてもどうにかなる」でほぼ一貫していて、その「適当」という日本語にある、「いいかげん」と「ちょうどいい」というふたつの意味の両方を大いに肯定しています。

 いいかげんで、間が抜けていて、ゆるいけれど、それがちょうど良く思える、あたたかく幸せな「家族の日常」から浮かび上がる物語からは、高畑勲監督が本作で訴えたかった「もっと楽に生きてもいいんじゃないか」というメッセージがきっと伝わるはずです。

 つまり、『となりの山田くん』は「楽に生きてもいい」というメッセージを送っている一方で、作り手は「まったく楽をしていない」、もはや矛盾すらしているような作品でもあるのです。

【画像】え…っ? 「ここがいちばんの衝撃」「天才にしかできん」こちらが『となりの山田くん』伝説の「結婚式ボブスレー」の場面です(4枚)

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