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時代の先を行き過ぎた任天堂の失敗ハード&周辺機器…いまだ追いつけていないかも!?

覇権ゲームハードNintendo Switchは一日にして誕生したわけではありません。勝利の栄光までの道のりには、数々の失敗、不遇の製品があり、任天堂はその屍を乗り越えてきたのです。

ファミコンで株取引したり馬券が買えたり! 通信アダプタは意外と成功?

ファミコンはその普及台数を背景に、バブル期ということもあってか、実にさまざまな周辺機器が発売された (マグミクス編集部撮影)
ファミコンはその普及台数を背景に、バブル期ということもあってか、実にさまざまな周辺機器が発売された (マグミクス編集部撮影)

 任天堂がNintendo Switchなどの大成功を収めているのは、「どの企業よりも失敗を恐れない」からでしょう。あらゆる可能性を試し、見込みがなければ切り捨て、伸びそうな芽があればとことん育ててきたのです。

 数十年前までさかのぼれば、まず「ファミコン3Dシステム」(1987年発売)が見つかります。スコープ(ゴーグル)型のファミコン用周辺機器であり、左右にはシャッターが仕込まれ、高速に開け閉めすることで、左右交互に異なる角度が付いた画面が観られます。

 つまり、テレビの上に「左目用の絵」と「右目用の絵」が表示され、交互に見ることで、立体になったと錯覚できるしくみです。それを体験できるのはゴーグルを被っている人だけで、被ってない人にはブレブレの画面が見えるだけでした(一応はふたりまでプレイ可能)。

 対応ソフトは『アタックアニマル学園』や『ハイウェイスター』など7本に留まっています。その後「バーチャルボーイ」や「ニンテンドーラボ VR Kit」に3Dのバトンは渡されましたが、いまだにうまく行っていないようです。

 続く「ファミリーコンピュータ 通信アダプタセット」(1988年発売)は、80年代末にネット接続を夢見た周辺機器です。アダプタだけで1万9800円、ソフトは別料金、しかも電話回線の工事が必要であり、買った人の数も限られていました。

 誕生のきっかけは、野村證券が「ファミコンを電話回線につなぎ、顧客が株取引をできるようにしたい」と持ちかけたことといい、任天堂が通信アダプタを、野村證券がソフトウェアを開発することになりました(「日経エレクトロニクス」1995年9月11日号による)。

 その結果「ファミコンホームトレード」サービスが始まり、他の証券会社も参入しています。ほか、日本競馬協会とも協力し、ファミコンで馬券が買える「JRA-PAT」サービスも提供されました。こちらは2010年代半ばまで続いており、「失敗」とは言えないかもしれません。

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