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『宇宙戦艦ヤマト』放送開始から半世紀 視聴率惨敗から未曽有のブームになったワケ

『ヤマト』が開拓した新たな1ページ

2023年に『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』4kリマスター版が劇場公開された際の前売券特典「復刻ビジュアルB2ポスター」 (C)東北新社/著作総監修 西崎彰司
2023年に『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』4kリマスター版が劇場公開された際の前売券特典「復刻ビジュアルB2ポスター」 (C)東北新社/著作総監修 西崎彰司

『ヤマト』という作品に注目していたのは、子供たちだけではありません。前述したように、作り手側に属する大人からも注目されていました。

 その一例として、放送翌年の1975年に「星雲賞」の「映画演劇・メディア部門」を『ヤマト』は受賞しています。この星雲賞とは、日本SF大会参加者によるファン投票で決められるもので、TVアニメでは初の受賞となります。

 そして、『ヤマト』が再放送を経て大きな波に乗ったきっかけが、TV版を再編集した劇場版の制作でした。この劇場版を分水嶺として、『ヤマト』は未曽有のブームを生む作品への道を歩むことになります。

 そのきっかけのひとつだったのが、出版による後支えでした。最初は、当初サブカルチャー雑誌として創刊した「月刊OUT」(みのり書房)1977年6月号です。「OUT」での初めてのアニメ特集として『ヤマト』は誌面を飾りました。この号は大変好調で、雑誌としては異例の増刷までしています。この増刷をきっかけに、「OUT」は徐々にアニメ特集を組むようになりました。

 これに続いたのが、同年8月ごろに児童向けテレビ雑誌「テレビランド」の増刊として発売された、「ロマンアルバム 宇宙戦艦ヤマト」(徳間書店)です。

 この「ロマンアルバム」は、後にも名作といわれるアニメ作品たちを中心に発行されていきました。その流れで翌年1978年5月に月刊アニメ雑誌「アニメージュ」が創刊されます。この「アニメージュ」の登場により、アニメ雑誌という新ジャンルに注目が集まることになりました。

 話は前後しますが、この時期には「アニメ」という言葉が一般的になります。それまでは今でいうアニメと特撮、子供向けTV番組は「テレビまんが」と呼ばれていました。もちろんアニメと特撮という言葉自体はありましたが、あまり一般的ではなく、子供向け作品はひとくくりにテレビまんがといわれることが一般的だったのです。

 この常識を大きく変えたのが『ヤマト』でした。『ヤマト』の劇場版から積極的にアニメという単語を使用し、やがてそれを普及させたわけです。これには子供向けのテレビまんがから、大人も楽しめるアニメへの脱却という意図があったのかもしれません。

 こうした空気感のなか、全国的に『ヤマト』のファンクラブは結成されていきました。この自発的なファンの活動もあって、『ヤマト』の劇場版は大ヒットとなります。そのヒットを後押しした要因もいくつもありました。

 たとえば前述の「OUT」でふたたび『ヤマト』特集を組んだ際、劇場版の前売り券の購入方法が紹介された影響で、前売り券が大量に売れたといわれています。この勢いで、当初は東京のみで劇場公開される予定が、全国公開にまで発展しました。

 日本映画で、徹夜で並ぶ人が現れたのも『ヤマト』がきっかけといわれています。その最大の理由が、先着順で配られたセル画でした。当時は入手方法がそれほど確立しておらず、ファンにとっては一品物のお宝だったといえるでしょう。

 このほかにも『ヤマト』をきっかけに刷新されたものが多くあるなか、後のアニメ業界を支える人材を育てたという部分は大きいと思います。たとえば『ヤマト』がなければクリエイターになっていないという人たちで、よく名前を挙げられるのが庵野秀明さんや出渕裕さんたちでしょうか。

 このようにアニメ文化を根付かせた『ヤマト』という作品がなければ、現在の日本の文化は大きく異なる様相を呈していたことでしょう。そういえるほど、その影響は大きなものだったと思います。

(加々美利治)

【画像】こちらが親と一緒だと出てくるたびにちょっと気まずかった『さらば』の「テレサ」です

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