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栄光の初代『仮面ライダー』 49年前の人々の情熱が作り上げた傑作

「仮面ライダーを作った男たち」の中心人物、平山亨プロデューサー

2016年3月に発売された『仮面ライダー1号ぴあ』 (C)ぴあ
2016年3月に発売された『仮面ライダー1号ぴあ』 (C)ぴあ

 初代『仮面ライダー』誕生には多くの方々が関わっていますが、熱意を持って奔走し、企画を推し進めたのが、東映のTVプロデューサー、平山亨氏です。現在でも東映テレビプロデュサーが共同ペンネームとして使用している「八手三郎(やつで・さぶろう)」は、もともと平山氏がTV時代劇『それからの武蔵』『水戸黄門』の脚本を手掛けた際に使用したもので、「なんでもやってみよう」から「やって みろ」へと変化し「八手三郎」となったのだそうです。2020年放送の『魔進戦隊キラメイジャー』でもクレジットとして使用されるほどに息の長いペンネームになるとは、当時の平山氏は想像もしていなかったことでしょう。

 平山氏は1954年に東京大学文学部美術史科を卒業後、東映に入社します。主に時代劇の助監督を担当し、2本の作品で監督も務めていますが、映画からTVへの急速な映像文化の移行により仕事が激減、テレビ部プロデューサーへと転身します。『キャプテンウルトラ』『仮面の忍者 赤影』『ジャイアントロボ』『柔道一直線』など多くの人気作品を次々と担当した平山氏が、1970年ごろから手掛けることになったのが、『仮面ライダー』です。

 当初『マスクマンK』と名付けられた企画は、『サイボーグ009』など多くの人気作を手掛けていた石森章太郎氏の手によりデザインが起こされます。また、毎日放送編成局次長の廣瀬隆一氏からヒーローにはスピード感が必要だとして、「バイクに乗ったヒーロー」としての要素が付け加えられました。広瀬氏は戦時中に陸軍でバイクを乗り回しており、バイク好きとして知られていたそうです。

 紆余曲折を経て『十字仮面(クロスファイヤー)』として企画は進みましたが、ここで石森氏から「もっとグロテスクでリアリティな奴にしたい」と、骸骨のような新たなデザインが起こされます、しかしながらこれは「ドクロでは営業上の支障がある」として却下されてしまいます。落胆した石森氏でしたが、昆虫図鑑を参考に、バッタをモチーフにしたデザインを50枚以上描き上げ、息子の小野寺丈氏に見せて選ばせました。これが仮面ライダーの原型となったのです。

 ついに放送にこぎつけた『仮面ライダー』は大野剣友会の命がけのスタントや主人公の藤岡弘、氏の熱演など、多くの人が情熱を込めて作り上げた傑作として時代に名を残しました。そして2020年の今もなお、最新シリーズの『仮面ライダーゼロワン』が放送され、多くの人々を楽しませ、勇気づけています。

『仮面ライダー』はいつでも皆の心のなかにいる。筆者はそうであってほしいと願っています。

参考文献:取材・脚本 小田克己 漫画 村枝賢一『仮面ライダーをつくった男たち1971・2011』(講談社)
注:本記事では石ノ森章太郎を当時の表記に合わせ、石森章太郎としています。

(ライター 早川清一朗)

【画像】藤岡弘、氏が熱演した「仮面ライダー1号」(6枚)

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