実写『デビルマン』公開20周年 何が「大問題」だった? 再鑑賞で新たな「発見」も
あまりにも悪名が高い実写映画版『デビルマン』が公開から20周年を迎えました。もちろんとんでもなくクオリティーの低い作品であることを前提として、実は良質な「オリジナル要素」があることをご存じでしょうか?
ボブ・サップや小林幸子の演技は上手い
実写映画版『デビルマン』が、2004年10月9日の劇場公開から20周年を迎えました。原作は永井豪さんによる名作マンガであり、TVアニメ版も強い人気を得ていましたが、打って変わって実写映画版は劇場公開当時から酷評の嵐となり、ネット上でも大きな話題となっていました。20年が経った今でも「最低最悪の映画」として語られ続け、悪い意味で伝説の1本となっています。
そうした評判は知っていていても、「観たことがない」という人もまた多いのではないでしょうか。実際に観ればこそ「娯楽映画において本当にダメなことをやっているので反面教師になる」「相対的に世の中の映画がちゃんとしていることを知れる」意義を感じられるはずですし、視点を変えれば「いろいろ要素が突き抜けすぎてむしろ見どころ満載」と断言できる内容になっています。
また、上記のような意見は20年間たびたび語られてきましたが、それ以外に改めて観ると、「マジメに評価できる部分もある」「今の世にこそ(原作マンガから)深く鋭い問いかけがされている」ことも指摘したいですし、実は良質な映画オリジナル要素もあるのです。
※以下、実写映画版『デビルマン』の内容に触れています。
●最大の問題は主演ふたりの演技力
まず先に、本作が酷評される理由を振り返っておきましょう。実写映画版『デビルマン』の問題点の筆頭として挙げられるのは主演のふたり、伊崎央登さんと伊崎右典さんの演技のつたなさです。央登さん演じる主人公「不動明」の、悲しみと恐ろしさと虚しさが同居するはずのセリフ「ああ、俺デーモンになっちゃったよ」や、強い怒りを発露させるはずの「俺の友達を、てめー」などがことごとく棒読みで、著しく没入観を削いでしまいます。
対する右典さん演じる明の親友にして最大の敵「飛鳥了」も、「ハッピーバースデー、デビルマン」というセリフを筆頭に迫力を感じさせません。その前後の展開を鑑みれば皮肉のこもった言葉として納得できなくはないのですが、シーンとしての唐突さや演出の不自然さのほうがはるかに際立ってしまっています。ふたりとも演技未経験で選ばれたことも含めて、もう観ていて気の毒になってくるほどでした。
相対的に演技がうまいと語られているのは、混乱する世の中で急激に態度を変えてしまう小林幸子さんや、英語のニュースを神妙な面持ちで読み上げるキャスター役のボブ・サップさんです。そうした「有名人のカメオ出演が多い」こともノイズではあるのですが、むしろ主演ふたりの演技力のあまりのクオリティーのために、小林幸子さんやボブ・サップさんが出てくるとむしろ妙に安心できる、というのは笑えない皮肉でした。
●原作をなぞっているのに省きすぎて説得力なし
また、意外というべきでしょうか、映画映画版『デビルマン』のメインの物語だけを取り上げれば、「それなりに原作に忠実」です。恐るべき存在のデーモン思しき者たちを人びとが迫害し、世界が破滅に向かっていき、ヒロインの「牧村美樹(演:酒井彩名)」やその家族にも最悪の運命が待ち受けている……という終盤の流れは、なるほど単行本で5巻におよぶ原作をなるべく再現しようという意思が汲み取れます。
しかし、映画では間を省きすぎて、「なんでそうなるの?」と納得できないところや矛盾に思える点だらけです。キリがないのでひとつだけあげますが、終盤に美樹が「私は魔女よ!」と啖呵を切ったすぐ後に、「私は魔女じゃない」と正反対のことを言う場面がかなり問題です。原作でもそれらのセリフや場面はあるのですが、映画では絶望的な展開の積み重ねと心理的な説得力があまりに足りないため、「さっきの威勢の良さが急になくなった」という、不自然さのほうが前面に出てしまうのです。
それ以外にもあまりに矢継ぎ早に展開するため、ダイジェスト感も否めません。原作では名場面が続くはずの敵「シレーヌ(演:冨永愛)」との戦いも「あれ? 終わったの?」という中途半端さですし、おぞましい敵の「ジンメン(演:船木誠勝)」はワンパンであっさり倒される始末です。2時間の映画に収めるための取捨選択が必要だとはいえ、原作ファンほど怒りを覚えてしまうのは致し方がないでしょう。
●むしろ見どころツッコミどころの数々
総じて実写映画版『デビルマン』で大問題だと思えるのは、「物語上ではとてつもなく悲惨なことが起きているのにふざけているように見えてしまう」ことであり、作品を真剣に観る気をなくしてしまいます。しかし一方で、それぞれの失笑を誘うツッコミどころはむしろ見どころともいえるのです。
友達を探すために水面にべちゃっと顔をつけたり(そんなところにいるわけないだろ)、重箱に詰められたボリューム満点の弁当のなかに栗がイガのまま入っていたり(恨みでもあるのか)、「山下清っぽい風体のふくよかな男(愛称:アポカリプスデブ)」3人がデーモンと疑われる人間を襲っていたり(ちゃんとした服を着ろ)、なぜか日本刀を持ち出した相手に銃を持った男がタックルして行ったり(撃てよ)と、「ツッコミ待ち」のような場面のつるべうちのおかげで退屈はしないでしょう。
そんななかでも屈指の名(迷)シーンは、飛鳥了が特捜隊をマシンガンで「無双」する一連のアクションシーンです。『マトリックス』と『リベリオン』を連想させる場面でありつつも、あまりにもあんまりなツッコミどころはあげるとキリがないので、もう観てくださいとしか言えません。
一方で、劇場公開時にPG12指定されるほどの残酷描写がはっきりとあり、物語そのものが陰惨極まりないため、そうした珍シーンを笑ってすませにくくもある、シンプルに気分が悪くなる、というのはやはり大きな問題です。原作から描かれている、差別と迫害、それによる世界の混乱と破滅の恐ろしさは、陰謀論や分断と対立の問題が世界中にある2024年の今ではより真に迫ってくるはずなのに、映画の種々のシーンのクオリティーの低さがより悲しくもなってきます。