楳図かずお先生がホラー版「ドラえもん」を描いた? 未読の人にもすすめたい名作短編
2024年11月5日、訃報が届き、SNSで悼む声が続々と届いている楳図かずお先生は、ホラー版『ドラえもん』ともいえる名作短編も手がけていました。作品の魅力や楳図先生の作家性を解説します。
子ども時代の友だちから卒業をする物語
2024年10月28日、楳図かずお先生が胃がんのため亡くなりました。88歳でした。『漂流教室』や『洗礼』などを手がけたホラーマンガの第一人者として知られるほか、ギャグマンガ『まことちゃん』も有名な楳図先生は、短編でも名作を世に送り出しています。
そのなかには、「ホラー版『ドラえもん』」ともいえる『ねがい』という作品もあります。楳図先生の作家性が濃厚にあらわれている入門作としてもピッタリで、なおかつトラウマ級の恐怖が待ち受けている名作中の名作なのです。
※以下、『ねがい』と、『ドラえもん』の「さようなら、ドラえもん」の内容の一部に触れています。
●「友だちだと思い込んでいる」存在に願いをかける物語
『ねがい』のあらすじはこうです。友だちとあまり遊ばない少年「等(ひとし)」は、ゴミ捨て場で「人間の頭」のように見える木の切れ端を拾ってきて、木にクギを打ち付けて「口」を作り、さらには「髪の毛」を付けて、自分だけの「ロボット」を作ります。等はロボットに「モクメ」と名付けて、「モクメが本当に動けますように」と「ねがい」をかけました。
モクメの見た目は不気味という言葉でも足りないほどで、お母さんは当然「そんな気味の悪い物、捨ててしまって、少しはお友だちと遊んだらどうなのっ!?」と叱りますが、等は「友だちなんてべつにほしいとは思わないっ。友だちなんかいなくたって、ちっともさびしくなんかないや!!」と返します。
等は「友だちだと思い込んでいる」モクメに依存してしまっているのですが、その後に転校生の女の子「浦野智子」と親しくなり、モクメを「必要としなくなる」どころか「ジャマだ」「やっぱり気味悪いや」と思うようになり、ついにはビルの建設予定地に捨ててしまいます。
そして……しばらくしてから、以前に等がかけていた「モクメが本当に動けますように」という「ねがい」が本当に叶ってしまうのです。そこからどのような恐怖が等に襲いかかり、彼がどのような行動をとるのかは……予想はできると思いますが、ここでは秘密にしておきましょう。
●「さようなら、ドラえもん」とのシンクロ
『ねがい』における小学生の男の子と、お願いを叶えてくれる(?)ロボットの関係性がすでに『ドラえもん』的ともいえるのですが、それ以上にシンクロしているのは、『ドラえもん』の最終回のひとつ「さようなら、ドラえもん」です。こちらはドラえもんという存在を必要としていたのび太が、そのドラえもんから「卒業する」感動的なエピソードでした。
その「自分の意思と行動で」「子供時代の友だちから」「卒業をする」ことが、『ねがい』と「さようなら、ドラえもん」ではほぼ一致している、というわけです。ただし、そこで巻き起こる感情は、両者は正反対ともいえるのですが……読み比べてみるのもいいかもしれません。
●「主観的な思い込み」の後にある恐ろしさ
楳図先生の作品では、「主観的な思い込み」が行きすぎていて狂気的に思えることがあり、その思い込みには当然、他の人間との「認識のズレ」も生まれています。その主観的な思い込みそのものも怖いのですが、さらに「思い込みが覆される」「他の人間のズレていたはずの認識と似てしまう」ことも、また恐怖を(時には感動も)呼び起こすのです。
この『ねがい』では、等は見た目が不気味すぎるモクメを本当の友だちだと思っていたけれど、母親はモクメのことを気味が悪いと思っていて、等もまた母親と同じようにモクメを気味が悪いと思うようになり、その先には……という、やはり楳図先生の作品に通底する恐怖が描かれているのです。
短くかつ強烈な『ねがい』でその作家性を認識したうえで、他の楳図先生の偉大な作品の数々に触れてみるのもいいでしょう。その作品群が、後の多くのクリエイターに影響を与え続けていることも含め、改めて偉大な作家であると思えました。楳図先生のご冥福をお祈りします。
(ヒナタカ)