ゲームボーイ、1991年勃発の湾岸戦争で兵士に支給 爆撃でも壊れなかった!
1989年4月21日、任天堂から携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」が発売されました。『ポケットモンスター赤・緑』など多くのヒット作を生み出し最終的には累計1億台以上を売り上げ、携帯ゲーム機市場を確立させる原動力となりました。
爆撃で吹っ飛ばされても動く頑丈さ
1989年に任天堂から発売された携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」はセガの「メガドライブ」やNECの「PCエンジン」など高画質のゲーム機のあとに発売されたため、モノクロ画面であることが不安視される向きもありましたが、『ポケットモンスター赤・緑』など多くのヒット作を生み出し最終的には累計1億台以上を売り上げました。通信機能がないことを知らずに「スーパーゲームボーイ」を購入してしまい、あとで「ゲームボーイ」も買う羽目になったライターの早川清一朗さんが当時の記憶を語ります。
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正直な話、「ゲームボーイ」には当初まったく興味がありませんでした。当時高校生だった筆者は、家に帰れば「ファミコン」があり、後に「PCエンジン」「メガドライブ」も追加されました。ゲームセンターに行けば家庭用ハードよりもはるかにグラフィックや音楽が優れたゲームをプレイすることができました。自転車通学だったので、電車の中でゲームをプレイするという選択肢もありませんし、少々ガラの悪い地域に住んでいたので、街中で見せびらかすような真似をすれば、取られてしまう可能性も十分にありました。
要は、「ゲームボーイ」が生活のなかに入り込む余地はない状況だったのです。修学旅行の時などに借りてプレイしたときはかなり楽しんでいた記憶はありますが、それ以外の状況だと、より優れた性能を持つゲーム機のタイトルを遊んだほうがよかったというのもあります。
そんな筆者がまず「ゲームボーイ」の凄さを知ることになったのは、1991年に勃発した「湾岸戦争」の際のエピソードです。クウェートに侵攻したイラクと戦うためにアメリカを中心に約30の国で多国籍軍が編成された際、待機中の兵士の慰労のために日本から支援物資が届けられました。そのなかに、「ゲームボーイ」の姿があったのです。
大きな体の兵士たちが笑顔で『テトリス』に興じる姿は見ていてほほえましいものがありましたが、場所は戦場です。当然、攻撃にも巻き込まれることになります。しょせんおもちゃである「ゲームボーイ」が戦争に巻き込まれればどうなるか。
そう、爆撃を受けても壊れなかったのです。