リアル赤いエースの機体色の理由は「なんとなく」ってマジ? 伝説の「レッドバロン」
「ガンダム」の文脈で「赤い機体のエース」といえばシャアかジョニーか、といったところでしょう。ではリアルではどうかというと、まさに「赤い悪魔」と恐れられた、伝説のエースパイロットが存在しています。
赤いエースはリアル貴族

赤いモビルスーツは通常の3倍速……「機動戦士ガンダム」シリーズにおいては定番ともいえる設定です。そのオリジナルは一年戦争時代のエース、「赤い彗星」こと「シャア・アズナブル」であることはいうまでもないでしょう。
現実において機体を真っ赤に塗ったエースといえば、第一次世界大戦において80機ものスコアを誇るドイツの撃墜王、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵が有名です。一般に、派手な塗装は戦場で敵の注意を引きやすく、軍用機には不向きとされますが、「赤い悪魔」「レッドバロン」との二つ名で呼ばれたリヒトホーフェンは、なぜ派手な色に染め上げたのでしょうか。
本人の言によれば「なんとなく赤色にした」という、拍子抜けするような理由が残されています。しかし戦場という過酷な環境において、偶然はしばしば計算を超える効果をもたらすものです。彼の真紅の機体は敵味方を問わずその存在感を際立たせました。そして、圧倒的な撃墜数を誇る彼の姿が、やがて「赤い悪魔」として神話化されていくのです。
また、それはドイツ側のプロパガンダが多分に含まれており、リヒトホーフェンの実像とはかけ離れた英雄の姿が作り上げられることになります。そしてリヒトホーフェンの赤は個人の象徴であり、恐怖と畏敬の対象となりました。戦場を駆ける彼の機体は、まるで戦神が乗り込んだがごとく、敵の心胆を寒からしめたのです。第一次世界大戦の航空戦は死亡率が非常に高く、多くのパイロットが精神を病んでいます。そうしたなかにあってリヒトホーフェンは戦闘狂的な性格であり、何よりも空中戦を好んでいました。
リヒトホーフェンの存在が伝説となるに従い、その首には賞金が懸けられるようになります。イギリス、フランスといった連合国側では、彼を撃墜すれば英雄になれると考え、多くのパイロットが彼との戦闘を望むようになり、リヒトホーフェン討伐隊なるものも結成されました。しかし、リヒトホーフェン自身はそれをどこか達観したように受け止めていた様子です。「リヒトホーフェン討伐隊を全部撃墜してしまったならば、私が賞金を受け取ることができるのだろうか?」と、彼は冗談めかして語ったといいます。
ですが、どれほどの英雄であれ、死神の鎌から逃れることはできませんでした。1918年4月21日、彼の運命の日が訪れます。低空飛行中に、恐らく地上から発射された1発の流れ弾が彼の上半身を貫き、これが致命傷となりました。彼の乗機フォッカーDr.Iには防弾装備などなく、脱出用パラシュートも携行しないことが当たり前だった時代です。リヒトホーフェンはそのまま機体とともに墜落し、彼の伝説は終焉を迎えたのでした。
彼の死後、その遺体はイギリス軍によって回収され、エースとしての名誉を讃えられます。連合国側の兵士たちは、敵とはいえ偉大な戦士であったリヒトホーフェンに敬意を表し、丁重に葬儀を執り行ったのです。彼の墓には「我々の勇敢で尊敬すべき敵へ」との言葉が刻まれました。
リヒトホーフェンが率いた飛行隊は、100年以上の時を経て2025年現在のドイツ空軍にも引き継がれており、第71戦闘航空団は「リヒトホーフェン隊」と呼称され、ユーロファイターを配備しヨーロッパの空を守っています。
(関賢太郎)