『プロレススーパースター列伝』なつかしのB・I砲編で描かれた猪木の生きざまと真実
1980年代に活躍していた実在プロレスラーを題材としたマンガ『プロレススーパースター列伝』のなかでも、多くの読者に人気だったエピソードが、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が登場する「なつかしのB・I砲」編です。
実際はアントニオ猪木の濃厚エピソードが満載

金曜夜8時のゴールデンタイムや土曜夕方にプロレス中継が放映されていた「黄金時代」に連載されていたマンガ『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎 マンガ:原田久仁信/以下、『列伝』)は、1980年から「週刊少年サンデー」で連載を開始し、コミックス第1巻の「アブドーラ・ザ・ブッチャー」編から第17巻の「リック・フレアー」編までが刊行されました。
それらのなかでも特に人気の高いエピソードが単行本7~8巻に掲載された「なつかしのB・I砲 G馬場とA猪木」編ではないでしょうか。
連載では「ファンクス編」から始まり、数多くのレスラーが登場してきた『列伝」のなかで、「B・I砲」編は日本人レスラーを初めて描いたもので、やはりというか、同作品らしい珠玉の名言のオンパレードとなっています。
ストーリーはもちろん、昭和を代表する名レスラーである「ジャイアント馬場」と「アントニオ猪木」(敬称略)の青年期から若手時代、そしてそれぞれが「日本プロレス」から独立を果たし、「全日」と「新日」を旗揚げし、後に活躍するまでのエピソードが散りばめられています。
しかし、「B・I砲」と銘打っているものの、その内容はほとんどが「猪木寄り」のハナシとなっています。当時、「佐山タイガー」が「新日」のリングに登場していた関係(初代タイガーマスクのデビューは81年・列伝B・I 砲編も同年)や、映画『四角いジャングル』などから続くつながりゆえ、梶原一騎氏とアントニオ猪木がズブズブの関係だったことは想像に難くないのですが、それにしてもジャイアント馬場のエピソードはかなり薄めです。
「全日派」の方からしたら不満の残る内容かもしれませんが、ガチガチの猪木信者だった筆者にとってはかなり心に響く内容……というより、小学校高学年にリアルタイムで体感したこの『列伝』によって、洗脳に近いカタチで、まんまと「猪木原理主義者」なってしまったといっても過言ではありません。
日本からの移民としてブラジルに渡った猪木一家、その当時の苦労話や「プロレスの父、力道山」からのスカウトを受けての「日本プロレス」への入門、ジャイアント馬場との出会いと「新弟子は虫ケラ」といわれる道場での日々、師匠「力道山」の急死、米国武者修行からの「東京プロレス」旗揚げと失敗、「日本プロレス」への復帰から「ダラ幹」(だらけた幹部の略)との軋轢や、「日本プロレスの乗っ取り」を企てたクーデターの首謀者として日本プロレスからの追放と新日本プロレスの旗揚げなど、この『列伝』では数々のエピソードが「梶原節」によってドラマチックかつコク深く描かれています。