愛すべきセガ60周年! ファミコンと同年発売・家庭用ゲーム機の開発、そして撤退
1960年6月3日に設立された株式会社セガが60周年を迎えます。もともとは「ジュークボックス」を扱う企業がアーケード事業に乗り出し、私たちが知る形となりました。1983年にはセガ初の家庭用ゲーム機となる「SG-1000」を発売します。
セガは「ジュークボックス」から始まった
1980年代から1990年代にかけてさまざまな家庭用ゲームハードや個性豊かなゲームを世に送り出し、熱狂的なファンを生み出したセガが、設立60周年を迎えます。これを記念して、セガが歩んだ激動の歴史を、「SG-1000II」から「ドリームキャスト」まで、セガのハードを買い続けたライターの早川清一朗さんが振り返ります。
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株式会社セガは戦後から6年経過した1951年に、「サービスゲームズジャパン」として設立されました。この頃はアメリカからジュークボックスを輸入し、クライアントへ納入およびメンテナンスを行う業務を行っています。
ちなみにジュークボックスというのは内部に大量のレコードが収められた音楽機材で、お金を入れると好きな音楽が流れ出るようになっていました。筆者が子供の頃にはボウリング場などで見かけることもありましたが、最近ではストリーミング配信が可能なデジタルジュークボックスが主流になっているようです。
1960年には営業部門の「日本娯楽物産」と製造部門の「日本機械製造」に会社を分割し、自社開発に乗り出します。結果として国産初のジュークボックス『セガ1000』の開発に成功し、ハードウェア自社開発の伝統が生まれるのです。このとき名付けられた「セガ」は「SERVICE GAMES」の頭2文字ずつを組み合わせたものであり、将来の社名となりました。
1964年には「日本娯楽物産」が「日本機械製造」を吸収する形で再度合併し、アーケード事業に乗り出します。翌1965年には「ローゼン・エンタープライゼス」と合併し、社名を「セガ・エンタープライゼス」に変更、アミューズメント施設事業に乗り出します。1969年には「ガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ」の傘下に入り、1971年には『フリッパーピンボール』発売を発売、そして1973年には「世界で初めてヒットしたビデオゲーム」として有名なアタリの『ポン』をコピーした『ポントロン』を開発・発売を行います。今でこそコピーは違法とされていますが、このころは鷹揚な時代であり、開発に携わったセガの元社長、佐藤秀樹氏は「『ポン』には回路図が全部ついてきた。ICのナンバーも全部書かれている。オペレーターズマニュアルの一部のつもりだったのかもしれない」と回想しています。