【シャーマンキング30周年への情熱(5)】デビュー前、武井宏之氏と「もの作り」を語り合った日々
青森から上京した武井氏と筆者。もの作りについてふたりで語り明かした日々が今日の礎(いしずえ)になっています。前回の記事に続き、おそらく初めて語られるであろうエピソードを、武井氏の了承を得たうえでご紹介します。
メカを描く才能にも恵まれた武井氏

マンガ『シャーマンキング』作者の武井宏之氏と筆者は、ともに青森から上京した後も親交を深めながら、もの作りについて語り明かしたものでした。前回の記事(高校時代)に続き、おそらく初めて語られるであろうエピソードをご紹介します。もちろん、執筆にあたり本人の許可をいただいていますよ!(笑)
武井氏は上京後、アルバイトをして生活していました。そこに翌年、浪人していた筆者が受験のために1か月も転がり込んだことが、少なくとも筆者には人生の転機となりました。その時の話は枚挙に暇がないので、いつかご紹介しようと思います。例えば、彼のバイト先や近所に住むバイト仲間のアパートが「出る」ところだった……とか。
ひとつ当時の話をすると、とある模型誌の投稿イラストコーナーに武井氏が何の気まぐれか、ガンダム(GP-01)の絵を送り、常連がひしめき合う中、初応募で1位に輝いてしまったことがありました。筆者が転がり込んだときにその本を見せてくれたのですが、後を続けずそれきりだと言うのです。もったいないとは思いましたが、あまりそういう欲の強い性格ではない武井氏らしいエピソードのひとつです。
筆者の記憶では、彼はどちらかと言えば人物よりもメカを描く方が好きで、立体のとらえ方が秀逸でした。幼い頃からブロックやプラモデルを触っていたからだと言っていましたが、それを言うなら筆者もそうだったんですが……やはり才能というものは存在するようです。
筆者はその後専門学校に落ち着き、武井氏も引っ越しをし、それぞれの新しい生活が始まりました。が、それからも筆者は武井氏のところに一度遊びに行ったら1週間は帰らないという、迷惑な生活をしていました。お互い遠いところに住んでいたというのもありますが、とにかく一緒にいることが楽しくて仕方がなく、もの作りのことをずっと語っていた気がします。そういう仕事に就くことが共通の夢でした。
実際に、ふたりでマンガを制作したこともあります。それは某ゲーム誌に応募するためのものでしたが、当時武井氏が師事していた先生に、「マンガ家になるのが夢なら妥協せず普通のマンガ雑誌を目指せ」と諭され、お蔵入りになりました。