『ばけばけ』三之丞の「口止め料」は無駄? タエ様のモデルが「物乞い」になったことは当時しっかり報道されてた
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』では、主人公・トキが三之丞に生活費を渡したにもかかわらず、実の母・タエがまだ物乞いを続けています。そして、彼女のもとに、松江新報の記者・梶谷がやってきました。
梶谷は今後、どこまで記事にするのか

2025年後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』は『知られぬ日本の面影』『怪談』などの名作文学を残した小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)さんと、彼を支え、さまざまな怪談を語った妻の小泉セツさんがモデルの物語です。
第7週34話では「松江新報」の記者「梶谷吾郎(演:岩崎う大)」が、主人公「松野トキ(演:高石あかり)」の実母「雨清水タエ(演:北川景子)」に対し、物乞いをして暮らしていることを記事にさせてほしいと話しかけてきました。それを見たトキの弟「雨清水三之丞(演:板垣李光人)」は、「これ以上、雨清水の名目をつぶしたくないんだ」と、梶谷に口止め料として1円を渡します。梶谷は「お坊ちゃん、お金持っちょるだないの」と、驚いていました。
三之丞はトキから生活を立て直すために10円もの大金を貰ったことをまだタエに話しておらず、梶谷に渡したお金の出所を聞かれると「社長になることが決まって貰った支度金」だと答えています。
三之丞の一連の行動には、SNSで「あのお金ですぐに家を借りていたら新聞記者に見つからず、体裁もとれただろうに」「なぜ口止め料にすぐ1円出せるのに、他のことはできないの?」「記者を黙らせるのにお金使っちゃうの? かなりガッカリ。社長になるための支度金? ほんと?嘘なら輪をかけてガッカリなんだけど」「三之丞……ダメだろ。お金を稼ぐことの苦労を知らないからあんな大金をポンと梶谷に渡せてしまうんだ。おトキがどんな思いで作ったか、そんなの考えもしないんだな」と、またも非難の声が出ていました。
また、「梶谷の前で『社長になりました』はうかつだよ三之丞。梶谷は『この件は口止め料もらっちょらんし』とか言って記事書きそう」「梶谷記者のおかげで、三之丞のやっているであろうロクでもないことが明るみに出そう」「梶谷さんなら お金を掴まされて記事書くなと言われたことと、おタエ様が物乞いしてること全部書くんじゃないか」などと、三之丞の口止め料が結局無駄になることを心配する人も多いようです。
トキのモデル・小泉セツさんの実の母であるチエさんは、小泉家の没落後、実際に一時期物乞いをしていました。その事実が現在まで伝わっているのは、当時の「山陰新聞(現在の山陰中央新報社の前身)」が記事を書いていたからです。
1891年6月28日の山陰新聞には、セツさんに関する記事が載っており、そのなかには「小泉方は追々打つぶれて母親は乞食と迄に至りし」という記述があります。
ただ、この記事は当時、セツさんがラフカディオ・ハーンさんのもとで働いて得たお金で、物乞いをしていた母・チエさんに借家と家財道具を用意してあげた、という内容でした。1891年6月時点で、チエさんは普通の生活を取り戻したようです。
1882年に創立された山陰新聞社は、以前から士族の没落について積極的に記事を作っており、1885年2月9日には松江在住の士族約2300戸のうちの7割が「自活の目途なきもの」となり、全体の3割が「目下飢餓に迫るもの」だったと報じていました。また、1886年5月18日に載った「士族生活概表」では、58戸の240人もの旧士族が「乞食するもの」になったことも語られています。
また、当時は「松江日報」という新聞もあり、こちらはラフカディオ・ハーンさんが松江にやってきたばかりの1890年9月頃の様子を記事にしていました。
ヘブンを松江に来た当日から追いかけ、タエのことも嗅ぎまわっている松江日報の梶谷は、おそらく山陰新聞と松江日報の両方の役割を担っていると思われます。今後、三之丞の必死の口止めもむなしく、タエが物乞いになったことが報道されてしまうのでしょうか。
※高石あかりさんの「高」は正式には「はしごだか」
参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』(中央公論新社)
(マグミクス編集部)
