子供には高価だったRCカー「ホットショット」を入手!カーレースで起きた喜劇に赤面
小学生、レースに出場!
生まれて初めて連れて行ってもらった秋葉原で、無事にホットショットを買ってもらえた筆者は、電車のなかで大きな箱を抱きかかえて離さなかった記憶があります。
無事に帰宅してワクワクしながら箱を開けた筆者は、まずものすごい数の部品に圧倒されることとなりました。それまでにガンプラを作ったことはありますが、あまりにも部品点数もクオリティも、レベルが違いすぎたのです。
それでも後に引けるわけがありません。説明書を読み、一つ一つ丹念に部品を組み立て、数週間かけてついにホットショットを完成させたのです。ただ、技術の未熟から上手く部品をつなぐことができず、バックができない状態でした。これが後々笑える事態を引き起こします。今の自分からすれば、その程度の不具合さっさと直しておけとツッコミを入れるポイントでしかありませんが、小学生にはまだ少し難しかったのです。
それからしばらくの間、公園でひとり、あるいはRCカーを持っている友人たちと、一緒に走らせて遊んでいました。タイミングよく、ブームを当て込んだと思われるRCカーショップが地元に開店したのでそこに入り浸り、色々と情報を仕入れたり部品を買ったりしていたのですが、そんなある日、隣の町のデパートで、RCカーレースが開かれるという話を聞きつけ、友達と一緒に出場することになったのです。これが喜劇の始まりでした。
レース当日、デパートの屋上には、大勢のRCカーユーザーとその保護者が詰めかけており、「RCカーを持っている人がこんなにたくさんいるのか!」と驚いた覚えがあります。
コースが少々ラフだったのでオンロードタイプが次々と脱落するなか、オフロード仕様のホットショットを擁する筆者は無事に予選を潜り抜け、決勝へと駒を進めました。友人たちの声援を受けながら決勝に臨んだ筆者でしたが、興奮のあまり、スタート直後にコントロールミスをしてしまい、障害物に頭から突っ込んでしまったのです。
バックできないホットショットで。
リタイアです。
いや、あれは本当に恥ずかしかった……。今でもたまに思い出してはのたうち回る記憶のひとつです。
その後、RCカーはしばらく遊びましたがいつしか飽きてしまい、今ではどこにあるのかもわかりません。多分引っ越しの時にでも処分してしまったような気がします。
それと忘れてはいけないのが、当時TV東京系列で放送されていた「RCカーグランプリ」の存在です。毎週レースの模様を放送する番組だったのですが、RCカーを離れても、リポーターを務めていた声優・日髙のり子さん目当てにしばらく見続けていました。当時のRCカーがブームになった大きな要因のひとつとして、日髙のり子さんの存在は、間違いなく欠かせないものでした。
(早川清一朗)