「教師なってたかも」「飛び級したの?」 ばけばけ・トキのモデルは本当に「学がなかった」のか 小学校時代の記録は
『ばけばけ』トキは自分に「学がない」と卑下していますが、モデルの人物はどうだったのでしょうか。
英語はできなかったけど

放送中の連続テレビ小説『ばけばけ』24週119話では、主人公「雨清水トキ(演:高石あかり)」が、夫「雨清水八雲(レフカダ・ヘブン/演:トミー・バストウ)」から、東京帝国大学をクビになったことを聞きました。それを聞いて、執筆に集中できるからよかったと笑ったトキは、ヘブンに「学のない私でも読める本」を書いてほしいとリクエストします。
モデルの小泉セツも、夫の八雲(ラフカディオ・ハーン)に自分の学のなさについて語ったエピソードがありますが、実際のところ、彼女は家庭の事情がなければかなりの高学歴になっていた可能性もありそうです。
ふたりの長男・小泉一雄は『父「八雲」を憶う』(1931年)という著書のなかで、セツが自分を卑下して「女子大学でも卒業した学問のある女だったら、もっともっとお役に立つでしょうに……」と言うと、ハーンが彼女を著作を並べた戸棚に連れていき、「斯(こう)、誰のお陰で生まれましたの本ですか? 学問のある女ならば幽霊の話、お化の話、前世の話、皆馬鹿らしのものといって嘲笑うでしょう」と語ったことを振り返っています。
その後、ハーンは近くにいた一雄にも「この本皆あなたの良きママさんのおかげで生れましたの本です。なんぼうよきママさん、世界で一番良きママさんです」と言って、妻が赤面するほど褒めました。一雄は「いつも」という表現を使っていたので、こういうことは何度かあったと思われます。『ばけばけ』第1話でも、このエピソードをもとにした、トキとヘブンのやり取りがありました。
セツはハーンの来日後初の著作『知られぬ日本の面影』(1894年)のときから、怪談や説話を語り、夫の再話文学の執筆に貢献しています。英語はできず、自分を学のない女と思っていたようですが、彼女は学校の成績自体は優秀だったそうです。
1868年2月生まれのセツは、松江に多数の小学校が作られ始めた8歳の頃から公立の内中原小学校に通うようになりました。読み書き、算術などの5時間の授業のほか、女子だけ2時間の裁縫の授業もあったそうです。当時は1872年に明治政府が定めた「学制」によって、4年制の小学校下等教科を8から1までの級に分け、年2回の各級の修了(卒業)を認定するための試験が行われていました。松江の小泉八雲記念館には、セツのすべての級および下等教育全体の卒業証書、裁縫教科の卒業証書、計10通の証書が保管されています。
記録を見ると、セツは1876年4月に8級、6月には7級に合格しており、順調に学びを進めていたようです。しかし、彼女が続く6級に合格したのは1878年1月で、1年半ほどの開きがあります。
どうやらこの時期に、セツの養父・稲垣金十郎が事業に失敗して借金を背負い、屋敷を売り払って借家に引っ越すなど家庭の問題があったようです。そして、彼女は11歳だった1879年6月に小学校下等教育を終えると、家計を支えるために実父・小泉湊が営む機織りの工場で働き始めました。
6級合格後のセツの勉学は順調で、1878年11月には実力を認められ、5級から2級に一気に飛び級できる試験を受けて、みごと合格しています。さらに、一番難しい1級の試験も、翌1879年の3月に合格していました。それでも家の事情で、その先の上等教育には受けさせられないと聞いたセツは、1週間も泣き続けたといいます。
1879年の下等教育の修了者は、当時の島根県の児童の総数の5%ほどしかおらず、セツは相当優秀な子供だったようです。1878年には松江女子師範学校が設立されており、家の借金がなければ、セツはいずれ師範学校に入り教師になっていたかもしれません。トキも幼少期は、教師になる夢を語っていました。
幼い頃から養母・トミに怪談や昔話を語ってもらい、生家の実母・チエから武家の娘としてのたしなみ・教養について教わっていたのも、セツの優秀さに関係していたと思われます。セツの子供たちも高学歴で、長男・一雄と三男・清は早稲田大学、次男・巌は京都帝国大学を卒業しました。
セツが上等教育やその上の学校に進んでいれば、ハーンと英語で会話することもできたかもしれませんが、そもそも稲垣家が借金まみれでなければ、彼の女中として働き、結婚することもなかったでしょう。また、上等教育で近代的な知識を身に着けるなかで、怪談への興味も薄れていたかもしれません。結果としては、11歳で学校に行けなくなったことが、後の幸せにつながったといえます。
※高石あかりさんの「高」は「はしごだか」
参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『父「八雲」を憶う』(千歳出版)
(マグミクス編集部)
