手塚治虫の異色作『ばるぼら』の実写化…手塚眞監督が語る“神さま”受難の時代
手塚治虫原作の異色ファンタジー『ばるぼら』が実写映画化されました。実写化を手掛けたのは、息子である手塚眞監督。原作マンガが発表された1973年は「虫プロ」の倒産など、手塚治虫氏にとって受難の時代だったと言われています。“マンガの神さま”の素顔を知る手塚眞監督に、原作誕生の背景を語ってもらいました。前後編に分けてお伝えします。
作家の心の葛藤を描いた『ばるぼら』
数ある手塚治虫マンガのなかでもカルトな人気を誇っているのが、1973年~1974年に「ビックコミック」(小学館)で連載された『ばるぼら』です。スランプ中の小説家・美倉は、フーテン娘のばるぼらと出会ったことから、さまざまな不思議な出来事に遭遇します。クリエイターにとって、創作のインスピレーションを与えてくれる“ミューズ”の存在がいかに大切なのかが分かる物語です。
稲垣吾郎さん、二階堂ふみさんという人気キャストを起用し、『ばるぼら』を実写映画化したのは、手塚治虫氏の長男である手塚眞監督です。手塚眞監督は過去に劇場アニメ『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』(2005年)を監督していますが、手塚マンガの実写化を手掛けるのは初めて。ヴィジュアリストとして知られる手塚眞監督の映像に対するこだわりと、原作の持つアバンギャルドなテイストがマッチした作品となっています。
“マンガの神さま”手塚治虫氏の素顔を知る手塚眞監督に、『ばるぼら』をはじめとする手塚マンガにまつわるエピソードを語ってもらいました。
「虫プロ」倒産の年に生まれた『ばるぼら』
ーー多彩な手塚マンガのなかから、実写化作品に『ばるぼら』を選んだのはなぜでしょうか?
実写化したい作品はたくさんあるんですが、手塚作品はどれもスケールが大きいんです。実写映画にするとなると、かなり大変なことになります。その点、『ばるぼら』は比較的コンパクトな物語なので、実写映画向きだなと考えたんです。とはいえ、企画から映画の完成まで5年もかかりました。他の作品だったら、10年はかかっていたでしょうね(笑)。
ーー手塚治虫氏が『ばるぼら』の連載を始めたのは1973年。手塚治虫氏が設立したアニメーションスタジオ「虫プロダクション」が倒産した年でもあります。手塚家にとっては大変な時期だったのではないですか。
僕が小学校を卒業して、中学に入る頃でした。家のなかがガタガタしていたかというと、実はそうでもなかったんです。確かに「虫プロ」は倒産しましたが、父はすでに社長ではありませんでした。しかし、債務責任は残っていたので、練馬区富士見台にあった自宅とスタジオは売却することになったんです。
「これからは借家暮らしだよ」と聞かされていたので、狭い部屋に家族みんなで雑魚寝している様子を思い浮かべ、これまで体験したことがないので面白そうだな、なんて勝手に想像していました(笑)。でも、借家といっても庭のある大きな家で、ひとりずつ部屋があったので生活があまり変わることはありませんでしたね。