手塚治虫の異色作『ばるぼら』の実写化…手塚眞監督が語る“神さま”受難の時代
1970年代、充実期にあった手塚治虫

ーー債務処理に追われる一方、この時期の手塚治虫氏は『ばるぼら』の他にも、社会派サスペンス『奇子』、北海道のアイヌ文化をモチーフにした『シュマリ』などの意欲作を次々と発表しています。表現者としてのバイタリティのすごさを感じさせます。
この時期の父は、「虫プロ」が倒産した反動でガムシャラに描いていた部分も多少はあったかもしれませんが、何よりもマンガ家としていちばん脂が乗っていた充実期だったと思います。そうじゃないと、あんなには描けないでしょう。しかも、すべて名作として残っていますからね。
ーーアニメ制作で生じた赤字を、手塚マンガの売り上げで補填していたことから、「マンガは本妻、アニメは愛人」なんてことも言われていたそうですが。
アニメを本業にしていた「虫プロ」スタッフにしてみれば、つらい言葉ですよね。「虫プロ」が倒産する前から、「マンガかアニメか、どちらかに専念したほうがいい」と周囲には言われていたんです。マンガとアニメ、父は両方にこだわったため、どちらも時間が足りない状況になっていました。本人としては、両方やりたいという気持ちを抑えることができなかったようです。
常人離れした仕事ぶり
ーー「虫プロ」が倒産したことで、マンガの執筆に専念できたとも言えそうですね。
確かに、そういう一面もあったと思います。一時期、父はマンガの仕事も減って「干されていた」と思われていますが、仕事が減っていた時期でもマンガの連載は常に何本も抱えていました。
手塚作品が古くなって仕事が減ったわけではなく、父はマンガの仕上がりにこだわるあまり、締め切りをいつも遅らせるため、新しい雑誌の編集者たちは父に仕事を頼むのを避けるようになっていたんです。
では、この時期の父は何をしていたかというと、『火の鳥』を描いてましたし、1972年から『ブッダ』の連載もスタートさせていました。読み切りの短編のほか、『鉄腕アトム』は単行本化するたびに新作を書き下ろしていたんです。1973年に連載を始めた『ブラック・ジャック』がヒットして、手塚治虫は復活したと言われていますが、正しくはヒット作を放ちつつ、さらに『ブラック・ジャック』もヒットさせた、なんです(笑)。
ーー高田馬場のマンションに篭り、幅広いジャンルの作品を生み出した時期だったんですね。
バケモノのような仕事ぶりでした。杉並区の借家には父は眠りに帰るだけでしたが、仕事場で泊まり込みで過ごすことが多く、借家の父の寝室はほとんど使われないままでした。僕も高校に入ると自主映画づくりを始めるようになり、父とはたまに廊下ですれ違うくらいになっていましたね。
※インタビュー後編に続く
(長野辰次)
●映画『ばるぼら』
原作/手塚治虫 監督・編集/手塚眞 撮影/クリストファー・ドイル
出演/稲垣吾郎、二階堂ふみ、渋川清彦、石橋静河、美波、大谷亮介、片山萌美、ISSAY、渡辺えり
配給/イオンエンターテイメント R15+ 11月20日(金)よりシネマート新宿、渋谷ユーロスペースほか全国公開
(C)2019 『ばるぼら』製作委員会
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