のむらしんぼ『コロコロ創刊伝説』 子供たちのバイブルの裏にあった、壮絶エピソード
「コロコロ」命名の由来とは?
もちろん、『コロコロ創刊伝説』には「コロコロ」を彩った数多くの漫画家も多数登場し、当時のエピソードを明かしてくれています。
『ゲームセンターあらし』のすがやみつる先生や、『あまいぞ!男吾』のMoo.念平先生など多くの先生方の創作秘話も明かされていますが、これらの回でも編集者が大きくクローズアップされており、マンガ製作とは漫画家と編集者の共同作業であることが力強く語られているのです。
すでに亡くなられた方の思い出を語る回や、漫画家の方々が協力して作品作りにあたっていたことなど、当事者でしか知り得ない情報も満載です。創刊から大きく成長を遂げるに至った「コロコロ」に込められた熱量のすさまじさを知るには、本作以上の作品は現状存在しないでしょう。
また、特に印象深かったのが、「コロコロ」の名前にまつわるエピソードです。子供の人生は長く、何度も何度もつまずきそのたびに起き上がる人生を送るはず。そんな子供たちを励ますために新たな子供向け雑誌を「コロコロコミック」と名付けたのだそうです。道路で転んでも、社会で転んでも、人生で転んでも、なお立ち上がって歩き出す。「コロコロ」にはそのような意味が込められていたのです。
本作には一度転んでしまいながらも、再び立ち上がった方のエピソードも掲載されています。1994年から2006年にかけて連載された『星のカービィ デデデでプププなものがたり』の作者であるひかわ博一先生はのむら先生のアシスタントを務めていた際に声がかかり連載作家となりましたが、途中からマンガへの情熱が消滅してしまい、まったく描けない状況に陥っていました。実質アシスタントがひとりで描く状況になっていたのですが、その方も辞めてしまい、連載を終了することになってしまったのです。これらの経緯は「ゲッサン」で連載されていたカメントツ先生の『カメントツの漫画ならず道』で明かされていましたが、ラストは決して明るい未来を暗示するものではありませんでした。しかし本作では、ひかわ先生が再び漫画家として活動を始めたことも描かれており、師匠であるのむら先生との対談も掲載されています。
どれほど人生で「コロコロ」しても、またやり直せばいいじゃないか。本作からはそんな優しさと強さが伝わってくるのです。
(早川清一朗)