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「無限列車」が駆け抜ける『劇場版 鬼滅の刃』 大正時代、実在した鉄道の姿は?

2020年10月に公開された『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』は社会現象を巻き起こし、日本の映画興行史を塗り替えんとする勢いで躍進を続けています。同映画では「無限列車」が大きなモチーフとなっていますが、作品の舞台となった大正時代の鉄道事情はどのようなものだったのでしょうか。

今より多くの夜行列車が多数運転されていた

「無限列車」をけん引していた蒸気機関車とそっくりな「ハチロク」こと8620形。写真は青梅鉄道公園で保存展示されている初号機(マグミクス編集部撮影)
「無限列車」をけん引していた蒸気機関車とそっくりな「ハチロク」こと8620形。写真は青梅鉄道公園で保存展示されている初号機(マグミクス編集部撮影)

 2020年10月16日に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が公開され、社会現象級のブームとなっている『鬼滅の刃』ですが、同作は大正時代の日本を舞台としています。映画では、「無限列車」という名の架空の列車が登場しますが、大正時代の日本の鉄道は、実際にはどのような姿だったのでしょうか。

 日本では1872年(明治5年)、東京の新橋駅(現在の汐留地区にあった旧駅)と横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ鉄道が開業。これ以降、日本の鉄道網は徐々に拡大していきました。

 当初は国の財政難もあり、国が運営する鉄道(国鉄)だけでなく民間運営の鉄道(私鉄)の整備も進みましたが、全国的なネットワークを構成する幹線鉄道は国が運営すべきとの論調が高まり、1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけ、おもだった私鉄は国鉄に編入されました。

 こうして大正時代には、全国のおもな都市を結ぶ国鉄線のネットワークが四国を除いてほぼ完成の域に達し、長い距離を走る列車も多数運転されていました。鉄道省運輸局編さん『汽車時間表』1925年(大正14年)4月号によると、東京から大阪まで直通する列車は1日15本。さらに西に進んで本州最西端の下関に直通する列車も1日6本ありました。

 ただし、当時の列車は最高速度が200km/h以上の新幹線ではなく、せいぜい90km/hくらいしか出ない蒸気機関車。所要時間も現在とは比べものにならないほど長いものでした。東京駅を朝の8時頃に出発する下関行きの特急列車は、大阪に到着するのが夜8時頃で半日がかり。終点の下関駅に到着するのは約24時間後の翌朝8時頃でした。そのため、当時の長距離列車の多くは日をまたいで運転される夜行列車だったのです。

『鬼滅の刃 無限列車編』では夕暮れどき、主人公の竈門炭治郎たちが「無限列車」に乗車。夜の闇を切り裂くようにして線路を走っていく「無限列車」の姿が描かれています。終点の駅に翌日到着する予定の夜行列車だったに違いありません。

 また、大正時代には、蒸気機関車に大きな変化がありました。明治時代の蒸気機関車は外国からの輸入に頼っていましたが、明治後期になると国産技術も発達。元号が変わって1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にかけ、本格的な国産の量産機となる旅客列車用の8620形と貨物列車用の9600形がデビューしました。

 このうち「ハチロク」と呼ばれた8620形は、輸送量がやや少なめの急行列車向けに開発された蒸気機関車。従来の急行列車用の大型輸入機より小柄になる一方、車輪を特殊な構造のものに変更し、カーブを走りやすくした点が大きな特徴でした。

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