【シャーマンキング30周年への情熱(20)】神回「恐山ル・ヴォワール」の舞台・青森を訪ねる(上)
『シャーマンキング』作者の武井宏之先生の故郷である青森は、作中の名エピソードとしてファンに愛される「恐山ル・ヴォワール」の舞台として描かれています。筆者は2020年11月に感染対策をしっかり行ったうえで現地取材を実施。マンガ本編と見比べながら、葉とアンナたちのドラマの舞台をお楽しみ下さい!
第1章「青森駅」 寒さのなか、人と荷物と列車が行き交う

『シャーマンキング 完全版』(講談社・電子書籍)19巻・20巻に収録の「恐山ル・ヴォワール」編は、幼少期の主人公・麻倉葉が、ヒロイン・恐山アンナとの初対面を果たす物語として、ファンの間では根強い人気があります。物語の舞台は青森県むつ市街と霊場・恐山です。
劇中の舞台は1995年で、執筆されたのは2002年です。本連載ではこれより3回に分けて、劇中で描かれた場所の現在の様子と劇中の描写を比較しながら紹介します。取材は2020年11月に、新型コロナウイルスへの感染対策をしっかりとった上で実施。単行本を片手に、現地訪問したような気分で楽しんでいただけるよう、エリアごとにまとめてレポートします。
●青函連絡船 八甲田丸
出雲を発った葉は「乙斗星(おつとせい)」で青森駅に入ります。その様子を描いた1コマに「HAKKODA-MARU」と書かれた不思議な絵がありますが、実はこれ「青函(せいかん)連絡船 八甲田丸」の船尾です。
1枚目の写真をご覧下さい。船尾とゲートが写っていますね。しっかりと現存しています。その昔、1988年に青函トンネルが開通するまで、青森~函館間は青函連絡船で往来していました。貨物列車などもそのまま積み込みます。フェリーの列車版ですね。船尾のハッチが開くとそのままレールが延びていて、列車が中に入る仕組みでした。それを管理するために、船の手前にゴツイ鉄骨のゲートがあります。
青函連絡船が廃止されたのは武井先生が中学校の頃です。その後八甲田丸は博物館的な存在として生まれ変わり、当時の発着場所に接岸されています。
●青森駅のホーム

青函連絡船の廃止前は、電車を降りてホームを海側の端まで歩くと連絡線乗り場、逆の端には駅の出口がありました。こうした構造であったことや、当時は北海道と本州を結ぶ玄関口で人や貨物を詰め込んだ長い列車がひっきりなしにやって来たことから、ホームの全長は約360mもあり、戦後に新幹線が誕生するまでは日本一の長さだったそうです。
しかし、ホームの上は当然吹きさらしで、待合室もなく、冬……特に吹雪の時などは寒くて凍りそうな思いをしたものです。武井先生は高校に通うため毎日のように駅を利用していたので、そうした経験は身に染みているかもしれませんね。
マタムネが上った階段の先は、乙斗星の背後に描かれている渡り廊下につながっています。
ホームから柵の向こうを眺めると、駅前のロータリーを囲むように様々なビルや飲食店などが並んでいました。ここで注目したいのは「ねぶた漬」の看板です。青森と言えば「ねぶた祭り」。その名を冠した食品です。松前漬けに似た食べ物で青森では超! 有名です。ぜひ機会があったら御賞味下さい。また、青森駅の外観にも触れておきましょう。現在では、東北新幹線の開通に伴い、新青森駅にターミナルとしての機能を譲ったためかシンプルになりました。
(「ねぶた漬」の看板と青森駅の外観は、画像ギャラリー参照)