『鬼滅の刃』炭次郎の「俺は長男だから我慢できた」 他のマンガではどうなのか?
『鬼滅の刃』の竈門炭次郎の名言のひとつである「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」。一見、少しだけギャグっぽくもありますが、本人は至って大真面目。しかも、こうした長男としての強い責任感・忍耐強さこそ炭次郎の強さの源にもなっています。しかし、この名言は他のマンガでも通用するのでしょうか?
「長男は我慢できる、次男は我慢できない」を考察してみる
2020年に公開の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が日本歴代興行収入トップ、原作マンガの累計発行部数は1億2000万部超えと社会現象にもなっている大人気アニメ『鬼滅の刃』ですが、その人気の理由のひとつにもなっているのは力強い名言の数々。
そんな名言のひとつがこの記事のテーマである「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」。
鬼との戦闘中に傷の痛みに必死に耐えなければいけないという緊張感のあるシーンで、炭次郎これまで痛みに耐えてきた過去を回想。そこでこの炭次郎らしい、本人は至って真面目なのに少しクスっとくるような言葉が入ってくることにより、読者の心はがっちりとつかまれたようで、好きな名言として挙げられることも多い人気のセリフです。
しかし、炭次郎のこの言葉は果たして、他のキャラクターにも当てはまるのでしょうか? 長男だから次男より我慢強いのでしょうか? 他のマンガに出てくる兄弟キャラたちを参考に考察していきます。
●サスケとイタチ『NARUTO』
まずは「週刊少年ジャンプ」で連載されていた『NARUTO』(著:岸本斉史)の主人公ナルトのライバル・サスケとその兄であるイタチの兄弟。常に冷静沈着で表情ひとつ変えることのないイタチと、同じくナルトたち同期のなかでは冷静でエリート的な立ち位置のサスケを比べてみます。
感情的な一面もあり、復讐心が抑えられなかったサスケよりも長年里と弟のために自分を偽ってきており、最後の最後まで自分を犠牲にし続けた兄・イタチのほうが我慢強いと言っていいのではないでしょうか。このふたりの場合、「長男は我慢できる、次男は我慢できない」に当てはまることになりそうです。
●エドワード・エルリックとアルフォンス・エルリック『鋼の錬金術師』
続いて、「月刊少年ガンガン」で連載されていた『鋼の錬金術師』(著:荒川弘)。幼少期、亡くなった母を生き返らせようとして兄と共に人体錬成を行うも失敗。その対価として肉体の全てを失い、全身鎧の姿になってしまった弟・アルフォンス(アル)、自身も片方の腕を失いながら弟を元の身体に戻すために、共にあらゆる可能性を追い求める兄・エドワード(エド)のふたり。
その性格ははっきりと違いがあり、エドは真面目で勉強熱心である一方、ややがさつで思い立ったら即座に実行に移してしまうトラブルメーカーな一面もありますが、アルは温和で慎重派のため、そのフォローに回ることが多いです。つらい過去を乗り越えて、前向きに成長を続ける我慢強いふたりですが、両者を比べると、より我慢強さを持っているのは弟であるアルの方。ここでは「長男は我慢できない、次男は我慢できる」というほうがしっくりきそうです。
●南波六太と南波日々人『宇宙兄弟』
最後に、「モーニング」で連載中の『宇宙兄弟』(著:小山宙哉)。それぞれの想いを抱えながら成長していく、この物語の主人公である兄弟ふたりの間にも性格の違いが。兄・南波六太(ムッタ)は宇宙を目指すという子供の頃の夢に向かっていくことができず、落ちこぼれていったのと対照的に優秀な弟・南波日々人(ヒビト)はふたりで誓った宇宙飛行士の夢をひとりで叶えるという努力のエリート。ムッタは物語が進むにつれて徐々に成長し、忍耐強さを見せていくのですが、幼少期からすぐに手が出やすいけんかっ早い性格で、大人になってからも怒ると形振り構わず向かっていく一面があるため、思いやりがありつつも我慢できない性格とも取れます。一方、ヒビトはどちらかというと外面は明るく、熱いものは内に秘め、遅れて宇宙飛行士となる兄を待ち続けています。
両者ともに忍耐強さが必要な宇宙飛行士の訓練を乗り越えているため我慢強い一面があるのは間違いないですが、1度も宇宙飛行士への道を外れることなく兄が這い上がってくるのを待ち続けた弟のヒビトのほうに我慢強さでは軍配が上がりそうです。
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以上、今回は3例のみでしたが、炭次郎の言うように長男が我慢できた例もあればその逆で次男のほうが我慢できている作品もまだまだありそうです。炭次郎自身は「長男だから我慢できる」という強い確信があったようですが、多くのシーンで痛みに耐えることができたのは炭次郎自身の心の強さであり、また長男だからと思える強い「思い込みの力」こそが炭次郎の持つ特殊な力なのかもしれませんね。
(ハヤサカコウキ)