猫飼いの憧れ「猫ちぐら」を売っている店のナゾ 理由を妄想して…「猫教か?」
漫画家の迷子さんによる描き下ろしエッセイ『妄想猫観察』。高価だけれど、愛猫が気に入ってくれるか分からず、買うのがためらわれるものの、憧れの存在である「猫ちぐら」。近所に猫ちぐらを売っている店を発見した迷子さんですが……なぜ、地域の民芸品でもないのに売っている?
地域の民芸品でもないのに、売っている「猫ちぐら」のナゾ
近所に気になる物が売っている。直売所のような、まあ田舎によくある土産物やら郷土品やら農産物やら一緒くたに並べてあるような店だ。そこの入り口から一番奥の棚、一番上。
猫ちぐら。
猫ちぐらがある。
初めて見たとき目を疑った。猫ちぐらはこの地域の民芸品ではない。しかしあれは確かに猫ちぐら。値段もいやに高額だ。他の品々のラインナップからは明らかに浮いている。なんなのだろう。お店の人が猫好きなのだろうか。それか、猫好きがふと見つけて「おッ……?」となっているのを見てほくそ笑むタイプの性癖を持っている人なのだろうか。後者では無いことを祈りたい。
しかし猫ちぐら、憧れる。猫が好むらしい……といううわさを知っている程度だが、あの風情ある籠に猫が自らおさまって平和にまどろんでいるというのはもうそれだけで”良い”な、と思う。入ってくれるなら買いたい。
そう、入るなら。
購入したグッズをはたして猫が気に入って使ってくれるか、実際使ってみるまでわからない。購入した物が禄に使われず置物と化してしまった例は枚挙にいとまが無い。というかそうなってしまった物の方が圧倒的に多い。いや、自分がいらんものを買ってきすぎなのかもしれない。うちの猫と自分の趣味がつくづく合わないのだな、と冷静に考えるとしみじみ悲しい。猫ちぐらも同じようになる可能性が大いにあるので迂闊に手を出せない。しかし使ってみたい。お試し期間とかないだろうか。
例の店に行く度に、まだあるな、と確認して帰ってくる。多分あの猫ちぐらは、永遠にあそこにあるのだろう。もしかしたらここの店主は猫教の司祭でもしているのかもしれない。店主は副業なのだ。そうかあれは、祭壇代わりか。
最近ではこっそり手を合わせるようにしている。
(迷子)