『ドラクエ』だけじゃない、すぎやまこういち氏の仕事 “ゲーム音楽”を創った歴史
「ドラクエ」の作曲家…ではなく、「ゲーム音楽」というジャンル自体の先駆者
そもそも、すぎやまこういち氏のキャリアの出発点は作曲家ではなく、ラジオ局の放送ディレクター。番組製作に携わる傍ら、自身の演出するテレビ番組『ザ・ヒットパレード』のテーマソングやCMソングを手がけ、本格的に作曲活動に専念するようになるのは1960年代後半。これは、ファミコン用ソフトの初代『ドラクエ』が発売される1986年より20年近くも前のことです。
1960年代の日本では、英国のバンド「ザ・ビートルズ」に影響された若者たちが、次々とロックグループを結成しており、そのブームは「グループ・サウンズ(GS)」と呼ばれていました。
人気グループのひとつに沢田研二氏がボーカルを務める「ザ・タイガース」があり、このバンドの名付け親、楽曲提供を行っていた人物こそ、すぎやまこういち氏です。「ヴィレッジ・シンガーズ」に提供した『亜麻色の髪の乙女』が、島谷ひとみ氏のカバーでリバイバルヒットしたことをご存知の方も多いのではないでしょうか。
ロックグループのみならず、1960年当時に絶大な人気を誇っていた姉妹ユニット、「ザ・ピーナッツ」へ楽曲提供を行っていたことからも、日本の1960年代の音楽シーンを支えていた立役者のひとりであることが分かります。
1970年代に入ると、活動の幅は更に広がります。『帰ってきたウルトラマン』の主題歌や『科学忍者隊ガッチャマンII』『サイボーグ009』『伝説巨神イデオン』など、今も愛され続けるヒーローアニメや特撮作品への楽曲提供も行うようになるからです。
そして、数々の偉業の後に担当した作品こそが『ドラクエ』です。
すぎやまこういち氏は『ドラクエ』の楽曲を担当した時点で、既に媒体を問わず、マルチな天才ぶりを発揮する有名作曲家としてのキャリアを確立させていました。
「ゲーム音楽が社会に認められ、とてもうれしい」とは、2020年10月28日、すぎやまこういち氏が文化功労者に選ばれた際のコメント。文中で「ゲーム会社の垣根を飛び越えることは大きな問題ではない」と表現した理由は、すぎやまこういち氏が創ったのは『ドラクエ』の音楽にとどまらず、「ゲーム音楽」ジャンルそのものでもあるからです。
(ふみくん)