いちファンとして振り返る、『エヴァ』とともに駆け抜けた26年。楽しみはこれからも続く…?
1995年に放送が開始された『新世紀エヴァンゲリオン』は熱狂的なブームを引き起こし、約26年の時を経て2021年に完結を迎えました。必死になってTV版を解釈し、旧劇場版の制作決定に熱狂し、『シン:エヴァンゲリオン』で無事に卒業を迎えた筆者が、エヴァとともにあった26年間を振り返ります。
情熱のすべてをぶつけた『エヴァンゲリオン』
筆者はすでに3回『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見に行きました。
その度に、今までは気づいていなかった新しい発見がありますが、自分のなかで、すでにエヴァをただの素晴らしい映像作品だととらえているフシがあります。1回目の鑑賞で覚えた「卒業」の感覚は、やはりエヴァの呪縛から解き放たれた証だったのでしょう。
そもそも、なぜ自分はエヴァを見始めたのでしょうか。庵野秀明氏の初監督作であるOVA『トップをねらえ』を見たときの衝撃から始まり、TVアニメ『ふしぎの海のナディア』で「なんでノーチラス号が空飛んでるの……?」と驚愕したのがきっかけだったのは、色濃く覚えています。
あの凄い作品を作った人たちが、また新しい作品をやる。それなら見てみたい。そう学校帰りの電車のなかで友人と語り合いながら『エヴァ』を見始め、魂を囚われてから26年。令和3年になりようやく解放されたわけですが、思い返せば本当にここまで色々とありました。
忘れもしない1995年10月4日、TV版第1話の放送で、あさりよしとお先生デザインの、どこかユーモラスな顔をした第3使徒サキエルが既存の兵器を蹂躙し、エヴァンゲリオン初号機に倒されるまでの焦燥感あふれる葛藤劇。
「綾波レイ」と呼ばれる包帯を巻いた少女は何者なのか、なぜ動かないはずの初号機は碇シンジをかばうために反射的に手を伸ばしたのか……怒涛のような展開のなか、多くの謎を残したままエンディングの「FLY ME TO THE MOON」が始まり、目を見開いていたのを覚えています。
まさかTV版の放送が終了しても、謎は謎のまま置いてけぼりにされるとは、このときはまったく思いもしませんでしたが。
意味不明、解釈不明の「弐拾伍話」「最終話」を見終えての唖然とした感情。セガサターン版のゲームでなぜか綾波が碇シンジを「碇くん」ではなく「シンジくん」と呼んでいた不可解さ。トレーディングカードを買いあさり、友人たちと無いカードを補完し合った思い出。レーザーディスクを買うために今は無き新橋のアニメイトに友人と並んだ記憶。大学の後輩が特典のポスターを電車で盗まれたと聞きなぜか大笑いしてしまったこと。
爆発するような若さと情熱をありったけぶつけることができた。それが『エヴァンゲリオン』という稀有な存在だったのです。