【シャーマンキング30周年への情熱(36)】道家に訪れた転機…「タオ」の意味とは?
道教に基づく道家の思想、そして蓮が至った境地とは

さて、蓮の実家・道家は太古の時代、その名が示すとおり「タオ」を人びとに説く役割を持っていた一族であり、その手段としてシャーマン能力を駆使していたと考えられます。祖父・道珍の言葉のなかに「正義や悪は、歴史や立場が変われば反対の意味になる」「光と闇、美と醜のようにどちらかだけがあるものでもない」「大切なのは表裏一体を受け入れる心を持ち、バランスを保つこと」というものがありますが、これらはそのまま陰陽の考え方にある「陰陽転化(いんようてんか)」と「陰陽互根(いんようごこん)」のことを指していると言えるでしょう。
これは中立的・客観的に物事を見た時に生まれる言葉です。しかし、復讐心ばかり先走った父・道円はこの客観性を失い、恨みに染まった考えこそが自分の「道」だと決めてしまったのです。彼には同情もできますが、結局、一方的なものの見方が根底にあるうちは大局を見据えることはできないと言われてしまったのですね。
ただ、長い道家の歴史では、円の考え方の方が主流だったのでしょう。だからこそ2000年も表舞台に復帰できなかったと考えられます。珍は先進的だったために、円はその思想に従わず先人にならった……と考えれば、さまざまなつじつまが合います。
ですから、珍は円の問題に早くから気づいていたはずです。ただ自分で自覚しなければ無意味だと考えていたと同時に、蓮の反発心の正体にも気づいていたと思われ、いずれ父子の衝突が起き、蓮が父を超えるのを確信して時を待っていた……そんな気がします。
なお蓮が到達した「我不迷(われまよわず)」という言葉ですが、これも道教にある「現世利益の追求」に通じるものと考えられます。
蓮は「全て自分の意思で決め、その道を歩む」「人に裏切られようが自分で決めた道」だと断言し、その後に「我不迷」と宣言します。「現世利益の追求」とは、仏教などが「死後、もしくは来世」で幸福になると説くのに対して、「今生きているこの人生で幸福を追求する」という考えです。
蓮の生い立ちを思い出してください。彼が自分で決めた道を歩めることは、幸福以外のなにものでもないと思いませんか?
ちなみに原作では、この場面のセリフが少し多く、同じく道教の思想にある「無為自然(むいしぜん)」の意味も含まれていると思われる一節があります。道家は蓮も含め、考え方に「道」が息づいた設定になっているのです!
それでは今回はこの辺で。また次回よろしくお願いします!
(タシロハヤト)
(C)武井宏之・講談社/SHAMAN KING Project.・テレビ東京