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『ゴジラ対ヘドラ』公開から半世紀。異色づくめだった「公害怪獣」との戦い

1971年のゴジラは空を飛ぶことができた

「東宝大怪獣シリーズ ヘドラPVC製塗装済みフィギュア」(エクスプラス)
「東宝大怪獣シリーズ ヘドラPVC製塗装済みフィギュア」(エクスプラス)

 強いメッセージ性に加え、坂野監督は斬新なアイデアを次々と『ゴジラ対ヘドラ』に詰め込んでいます。最初はオタマジャクシ状の小さな生き物だったヘドラですが、汚染物質を飲み込み、他のヘドラたちとくっつき巨大化。さらにはゴジラと戦うことで進化し、飛行形態へと変貌していきます。ヘドラが数段階にわたって進化するという設定は、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』(2016年)などに影響を与えることになります。

 ゴジラファンにとって忘れられないのは、ゴジラとヘドラが対決する二度目の対決シーンです。殴っても手応えのないヘドラに、破壊王ゴジラも手を焼きます。ゴジラは左目を潰され、右手も白骨化してしまう大苦戦を強いられます。放射熱線によってヘドラを乾燥させることに成功するゴジラですが、しぶといヘドラは空を飛んで逃げようとします。このとき、後ろ向きになったゴジラは熱線を吐き出しながら空を舞うのでした。

 ゴジラは尻尾を丸めて、優雅に空を飛びます。この飛行シーンは、ファンや関係者でも賛否が分かれました。「ゴジラの生みの親」と呼ばれた田中友幸プロデューサーは、完成試写の後で「(ゴジラの)性格まで変えてもらっては困る」と坂野監督に小言を漏らしたそうです。坂野監督のぶっ飛び演出は、それだけ大きな話題となったのです。

 坂野監督の劇場公開された監督作は『ゴジラ対ヘドラ』の1本だけですが、環境破壊が人類に大いなる脅威をもたらすことに警鐘を鳴らした大ヒット映画『ノストラダムスの大予言』(1974年)に、協力監督としてクレジットされています。舛田利雄監督作『ノストラダムスの大予言』の脚本づくりや実景の撮影などに、坂野監督は協力したそうです。

特撮シリーズの名脚本家の最終作

 もうひとつ忘れられないのは、『ガス人間第一号』(1960年)や『マタンゴ』(1963年)などの東宝特撮映画の名作のシナリオを手掛けた脚本家・馬淵薫氏にとっても、坂野監督との共同脚本作『ゴジラ対ヘドラ』が最後の劇場映画になったということです。

 ヘドラを早期目撃した少年・研(川瀬裕之)の叔父・行夫(柴俊夫)は、公害反対百万人フェスティバルを富士山麓で開こうとしますが、100人程度しか集まりません。しかも、そこにヘドラが現れ、ヘドラに立ち向かっていった若者たちは壊滅してしまいます。

 脚本家の馬淵氏は戦前・戦中は左翼運動に傾倒していましたが、戦後になって挫折し、特撮映画の脚本家に転じたという経歴の持ち主です。志を持つ若者たちが挫折し、怪獣の前に憤死していくこのシーンは、かつての馬淵氏やその仲間たちの姿と重なるものを感じさせます。

『ゴジラ S.P』にもヘドラは登場?

 2016年に刊行された坂野氏の著書『ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター』(フィールドワイ)を読むと、坂野氏が長年温めていた『ゴジラ対ヘドラ2』の企画がアイマックスシアターで上映される40分程度の3D映画へと発展し、さらにハリウッド側が資金提供することで長編映画『GODZILLA』になったと語られています。

 原発事故が『GODZILLA』のモチーフになっていることを、坂野氏は大いに喜んだそうです。坂野氏は2017年に86歳で亡くなっていますが、初代ゴジラを演じた中島春雄氏とともに『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のエンドロールに謝辞が記されています。

 公開から50年を記念して、京都みなみ会館では『ゴジラ対ヘドラ』などの上映、研少年を演じた川瀬裕之さんらを招いてのトークイベントが、7月24日(土)、25日(日)に予定されています。また、話題を呼んでいるアニメシリーズ『ゴジラ シンギュラポイント』にも、ヘドラが意外な形で姿を見せています。

 汚物から生まれた公害怪獣ヘドラは、想像以上に強い生命力の持ち主であるようです。

(長野辰次)

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