歴史は変わる!? 『ベルサイユのばら』にある「リアル」と「フィクション」
少女マンガの名作『ベルサイユのばら』を読んで、フランス革命の部分だけ世界史に詳しいという人もいるようですが、真実だと信じていたことが実はフィクションだったり、歴史研究が進んで、『ベルばら』の連載当時とは認識が変わっていたりすることもあるようです。そんな『ベルばら』の「リアル」と「フィクション」をご紹介します。
オスカルパパとフランス国王の意外な 「リアル」と「フィクション」とは…?

『ベルサイユのばら』は、今なお愛され続けている少女マンガの名作です。革命前後のフランスを舞台に、マリー・アントワネットの輿入れから処刑されるまでが、架空の人物であるオスカルとアンドレの物語をはじめ、史実にフィクションを織り交ぜて描かれています。
この作品を読んだおかげで、フランス革命の部分だけ世界史に詳しいという人もいるようですが、真実だと信じていたことが実はフィクションだったり、歴史研究が進んで、『ベルサイユのばら』が連載されていた1970年代とは認識が変わっていたりすることもあるようです。
この記事では、『ベルサイユのばら』にある、信じていたのに実は違っていた、「リアル」と「フィクション」をご紹介します。
●オスカルはいないけど、オスカルパパ(=ジャルジェ将軍)は実存した
主人公のひとりである男装の麗人、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは架空の人物です。しかし、オスカルを男性として育てることを決めた父のジャルジェ将軍には、フランソワ・オーギュスタン・オーギュスト・レーニエ・シュバリエ・ド・ジャルジェという、モデルとなった実存の人物がいます。
作中では、ジャルジェ家は大貴族として描かれていますが、実存のジャルジェが将軍になったのは革命勃発後でした。彼は冷静で思慮深く、果敢な人物で、革命下では多くの反乱を鎮圧したと言われています。そして、王党派の軍人として王室に忠誠を誓い、最後まで王家に尽くし、マリー・アントワネットからも信頼を寄せられました。ルイ16世一家がベルサイユを去り、パリのテュイルリー宮殿に軟禁されてからは、王妃の通信係を務めたとも言われています。
ジャルジェは国王一家を救出するための計画を立て、資金の調達もしたようです。国王一家がタンプル塔に幽閉され、多くの貴族たちが国外に逃げた後も、彼は危険をおかしてフランスに留まり、ルイ16世の処刑後にはマリー・アントワネットと子供たち、王の妹の救出計画のために奔走。
全員の救出が無理と分かると、ジャルジェはマリー・アントワネットだけでも逃がそうとしました。しかし、子供たちを置いて逃げることをマリー・アントワネットが承諾せず、この案も実現しませんでした。
ジャルジェ将軍は2度結婚していますが、いずれも妻はマリー・アントワネットの侍女だった女性でした。そして、マリー・アントワネットが愛したスウェーデン貴族、フェルゼンへの最後の手紙も仲介するなど、実際の歴史上においてもマリー・アントワネットとは深いかかわりがあった人物なのですね。
●マリー・アントワネットの夫、ルイ16世は愚鈍な王ではなかった
『ベルサイユのばら』では、ルイ16世は、ぽっちゃり体系で男性としての魅力は乏しく、人はいいが、王としての威厳や決断力がなく、頼りがいもない、「愚鈍な王」として描かれています。
しかしさまざまな歴史研究が進むなかで、実はルイ16世は、慈悲深く、聡明な王だったと再評価されているのです。
当時のフランスの財政は、ルイ14世とルイ15世の放漫財政もあって、すでに腐敗の極みにありました。ルイ16世も財政再建を試みましたが、途中で挫折してしまったようです。それでも、農奴制を廃止したり、プロテスタントやユダヤ人の同化政策をすすめたり、アメリカ独立戦争では宿敵イギリスを破るといった成果もあげています。
さらに、科学や地理探検にも理解があり、後に彼自身の命を奪うことになるギロチンについても、刃を斜めにすることでどんな太い首も一度で切れるように改良を勧めたのもルイ16世だったと言われています。
ルイ16世は、ダンスや気の利いた会話、優雅な振る舞いは苦手だったようですが、少年時代から心優しく聡明だったため、家庭教師たちからは名君の器と絶賛されていたそうです。大人になってからも、庶民の家を散歩がてらに見て回り、彼らの生活を知り、苦しみに寄り添おうとし、心優しさは変わりありませんでした。
民衆を愛した君主であり、妻と家族を愛した夫であったルイ16世は、「愚鈍な王」などではなく、慈悲深く聡明な王であり、数々のスキャンダルによって王妃、マリー・アントワネットが世間を騒がせても、王の威信が地に堕ちるということはなかったのです。