『テレビマガジン』が50周年。ライダーもマジンガーも、ブームは誌面から巻き起こった
児童向け子供雑誌の草分けだった『テレビマガジン』は『テレマガ』の愛称で親しまれ、いくつものブームを子供たちに提供してきました。そのヒット作品の数々を振り返りながら、世代ごとに巻き起こしたブームを振り返ってみましょう。
仮面ライダーと二人三脚だった創刊時
1971年11月に「テレビマガジン」が創刊され、今年で50周年になりました。長い間「テレマガ」の愛称で親しまれ、子供の頃に読んだことのある方も多いことと思います。日本初の児童向けテレビ情報雑誌である「テレマガ」の半世紀を振り返ってみましょう。
「テレマガ」は当時の人気TV作品だった『仮面ライダー』をメインにした子供向け雑誌として企画されました。これは講談社の幼児向け雑誌「たのしい幼稚園」が『仮面ライダー』で販売部数を増やしたことが大きな要因です。この雑誌の対象年齢は「幼稚園生」ですから、小学生までを対象にした雑誌に注目したのでしょう。
もともと『仮面ライダー』は、「週刊ぼくらマガジン」という子供向けマンガ雑誌で、石森章太郎(石ノ森章太郎)先生がマンガを連載していましたが、この雑誌は「週刊少年マガジン」に統合される形で廃刊します。この時に「少年マガジン」に掲載誌を変えたのが『仮面ライダー』、『タイガーマスク』、『天才バカボン』でした。
こうして『仮面ライダー』は「少年マガジン」に移籍しましたが、当時は大学生にも読者層を広げて劇画路線に移行していたこともあり、それまでの子供向けの部分から脱却しようと模索していた時期だったのです。そのためか、「テレマガ」創刊とほぼ同時期に『仮面ライダー』の「少年マガジン」での連載は、同じく人気作だった『タイガーマスク』と同じ1971年53号で終了を迎えました。その後の「少年マガジン」は、写真家の篠山紀信さんによるアイドルグラビアなどが掲載されるようになっていきます。
このような背景から誕生した『テレマガ』は、創刊時はマンガが多く連載される従来のマンガ雑誌と変わらない構成でした。しかし、独自に撮影した写真を多く所有していたこともあり、それを中心としたカラーグラビアページに力を入れていきます。これには「少年マガジン」で仮想記事やグラビアを担当していた田中利雄さんがいたからでした。
そして、このカラーグラビアが他誌とは違う大きな魅力になります。TVでは見ることのできない写真、TVでは語られない物語など、「テレマガ」だけでしか見れない情報が子供たちのハートをわしづかみにしました。この『仮面ライダー』との二人三脚が、お互いの人気を決定的にします。
この「テレマガ」の躍進で、秋田書店のマンガ雑誌「冒険王」は特撮やアニメといった「テレビまんが」と呼ばれるジャンルに舵を切るようになり、1年ほど後には競合雑誌となる「テレビランド」が創刊されました。『仮面ライダー』のヒットで、児童向けテレビ情報雑誌は各社から一躍ジャンルとして注目されたわけです。
また、「テレマガ」で特筆する点は、誌面で募集した「少年仮面ライダー隊」でしょう。実際に作品でも登場し、この企画を盛り上げました。その後、この読者がヒーローをサポートするといった企画は、『マジンガーZ』のマジンガーズクラブ、『ミクロマン』のミクロマンクラブという具合に、その後の「テレマガ」の中心となる作品にも引き継がれていきます。