【シャーマンキング30周年への情熱(58)】「シャーマン」が普通の人間より強いのは本当か?
2021年4月から放送中のTVアニメ『シャーマンキング』第43話。普通の人間とシャーマンの比較や「想いの力」がマイナスに働く事例が私たちに教えてくれたことや、ハオ組の深い絶望の理由について解説します。
「シャーマン」という存在を一歩引いて見ると…?

2022年2月10日(木)に放送されたTVアニメ『シャーマンキング』第43話では、「シャーマンVS普通の人間」という構図などを通じて、さまざまな気づきがありました。まずはそれを掘り下げてみます。
私たちがこれまで目にしてきたのは「シャーマン」の生き様と戦いでした。彼等は持霊(もちれい)を使って物事を解決しようとします。ただそれが必ずしも「普通の人間」の解決手段よりも優れているとは限りません。シャーマン能力を透視や失せ物探しのように使うなら断然優位だと思いますが、戦闘はどうでしょうか?
シャーマンが普通の人間と霊能力で戦うためにはオーバーソウルが必要です。そうして初めて霊は物理に干渉できるのです。でもそこまで到達するのはシャーマンのなかでもひと握りです。
こう考えると、銃や兵器を持った普通の人間と戦うのに、シャーマンは特に有利でないことがわかります。作中では実際にそうした現実が突きつけられてしまったわけです。なまじ麻倉葉がもともと憑依合体するシャーマンで、オーバーソウルを使わなくても普通の人間と戦えるばかりに、原作を読んだ当時の筆者はその発想に至りませんでした。
でも「シャーマンの物語」を描くのなら一歩引いて「全人類のなかのシャーマン」に触れることは重要です。今回、ペヨーテの「狭い世界で閉じこもっているから考えが偏る」「ハオはシャーマンのなかで最強なだけ」という言葉にハッとした方もいるのではないでしょうか?
同じようなことが地獄での出来事でも描かれています。ここでは葉とリゼルグに着目しますが、このふたりを通じて「想いの力」というものがいかに大切かが、明確に描かれています。
そして、特にリゼルグはマステマに勝つイメージを強く持ったにもかかわらず、勝つことができず潰されてしまいます。この時「自分は魂を砕かれたかもしれない」というイメージを持ちそうになってしまったところをアバフに止められ、想いの力で自分の姿を再構成します。
ややトリッキーともいえる演出はまさに「想いの力」を一歩引いてとらえている部分です。これまで「想いの力」とは、「勝つための力」として強ければ強いほど良い……と描かれることが多かったのですが、リゼルグの場合は「負けてしまう力(魂が砕ける)」にもなってしまうことを説明しているのです。
想いが弱いから負けるのではなく、強いから負ける(魂が砕ける)わけです。こう考えると、「想いの力」も使いどころが重要なのだと気づかされます。