劇場版『仮面ライダー』50周年 スタッフは「リストラ組」、初の映画化にみなぎる熱気
『仮面ライダー』劇場版第1号から50周年。当時の大ブームのなかで製作された劇場版は、子供たちの期待以上の映画として人気を加速させるほどの好評を得ました。また、その製作裏ではスタッフたちの情熱が秘められていたのです。
「スゴいぞ!…ボクらの仮面ライダーが映画になった」

本日2022年3月18日は、半世紀前の1972年に「東映まんがまつり」の一編として『仮面ライダー対ショッカー』が上映開始した日です。「仮面ライダー」シリーズ初の劇場用完全新作として製作された本作について振り返ってみましょう。
当時、すでに『仮面ライダー』ブームは始まっており、その人気からさまざまな商品が世に出ていました。変身ベルトやライダーカードなど、後の世に語り継がれるヒット商品のほかにも、自転車や各種書籍も飛ぶように売れていたのです。
そんな時期の映画化が話題にならないわけがありません。当時の子供たちの胸は期待であふれていました。かくいう筆者もそのひとりです。
しかし、『仮面ライダー』の映画はこれが初めてというわけではありません。前年の1971年7月18日から公開された「東映まんがまつり」で、『ゴーゴー仮面ライダー』という作品が映画館で見られたからです。
もっとも、この『ゴーゴー仮面ライダー』はTV版第13話「トカゲロンと怪人軍団」の上下をトリミングして、シネスコサイズにブローアップして上映しただけのものでした。これは東映テレビ事業部長の渡邊亮徳さんが、TVシリーズを宣伝する意図から上映プログラムに組み込んだもので、再生怪人が多く登場することから第13話を選んだそうです。
この『ゴーゴー仮面ライダー』が「東映まんがまつり」の劇場アンケートで、メインプログラムだった劇場用新作アニメ映画『アリババと40匹の盗賊』を抜いて1位となったことで、次は新作を製作する……という流れになりました。このことが現場のスタッフの気持ちを大いに盛り上げます。その背景には、複雑な事情がありました。
実は『仮面ライダー』を製作していたテレビ事業部は、1963年ごろに東映京都撮影所からリストラに近い形で配置転換された人が多く働いていたのです。その当時はまだ「TVは映画に劣る」という風潮もありました。
それが数年後、TV作品として製作した『仮面ライダー』が映画になるということで、テレビ事業部で働いていたスタッフたちにとっては、現代でいう「リベンジ」を果たしたことだったのでしょう。当時のスタッフはみんなやる気に満ちあふれていたと、筆者も多くの方から聞いたことがあります。この熱気が、本作を今でも語られる名作に仕上げたのでしょう。