『ウルトラマンA』と『変身忍者 嵐』の視聴率争い 二者択一を迫られた子供たちの対応は?
かつて苛烈な視聴率争いを繰り広げた『ウルトラマンA』と『変身忍者 嵐』。その戦いにより、両者は何度も路線変更を迫られました。しかし、もっとも被害を受けたのは両作品とも見たかった当時の子供たちだったかもしれません。
意欲的だった、ふたつの特撮ヒーロー番組
本日4月7日は、半世紀前の1972年にTBS系列で『ウルトラマンA』(以下、A)が放送開始した日です。そして、この同じ日に毎日放送・NET(現在のテレビ朝日)系列では、『変身忍者 嵐』(以下、嵐)が放送開始しました。ともにキー局では金曜日19時からスタートした2本の特撮ヒーロー番組。激しい視聴率争いをしたふたつの番組について、当時の思い出も交えて振り返ってみましょう。
『A』は前年に復活した「第2期ウルトラシリーズ」の第2作目。今までのシリーズになかった意欲的な設定が、いくつか組み込まれていました。そのなかでも、北斗星司と南夕子による男女合体変身で「ウルトラマンエース」になるという点は、それまでにない大きな試みのひとつです。
この他にも「異次元人ヤプール」という組織的なレギュラー悪役が登場し、怪獣を超えた生物兵器たる「超獣」の存在など、これまでのウルトラシリーズになかった設定をふんだんに組み込んだ意欲作でした。
さらに、それまで雑誌などでしか見られなかったウルトラマンたちの共演。「ウルトラ兄弟」が本格的に画面へ登場したのは『A』が初めてのことでした。
ちなみにタイトルは試行錯誤の結果、当初『ウルトラA』という名称で発表されます。しかし、この名前は玩具会社の商品として存在していたことから、商標登録の問題で『ウルトラマンA』へと変更されました。これがきっかけで、以後のシリーズは『ウルトラマン○○』というネーミングが定着します。それゆえ、以前の作品である『ウルトラセブン』を、興味のない人たちが『ウルトラマンセブン』と誤っておぼえる原因ともなりました。
一方の『嵐』は当時、大ブーム中だった『仮面ライダー』に続くべく製作された作品です。そのため、制作会社はもちろん、原作者、放送局、メインライター、監督、ナレーター、敵の首領の声も『仮面ライダー』と一緒という布陣で挑んでいました。
この敵首領・血車魔神斎の声を演じたのは声優の納谷悟朗さんですが、実は納谷さんは裏番組の『A』では主人公のエース役で出演しています。もっとも『A』の納谷さんはノンクレジットだったため、『嵐』のスタッフのなかには『A』に出演していたことを知らなかった人もいました。
『仮面ライダー』と同じ布陣で挑んでいることから、その差別化のため、『嵐』は時代劇という舞台を選択したそうです。本来なら時代劇のために、東映京都での制作を予定していたそうですが調整が上手くいかず、東映東京での制作になりました。そのため、東京近郊での撮影が基本となり、撮影場所には苦労したそうです。
しかし製作側の士気は高く、『嵐』は『時代劇版仮面ライダー』を目指していました。もちろんテレビ局の期待も大きく、放送開始1か月程度のゴールデンウィーク時期に『仮面ライダー』を交えた特番を放送しています。
これだけ力の入った作品が同時期に見られることは喜ばしいことですが、問題は、まったく同じ時間帯に放送する番組ということ。現代と違い、この当時はビデオのような録画機器は一般家庭には普及していないばかりか、TVが2台ある家庭もごくわずかでした。つまり当時の子供たちにとって、このふたつの番組を二者択一するしかなかったわけです。