放送35周年の『赤い光弾ジリオン』アニメ界の「奇跡」を生んだプロデューサーの熱意とは
1987年4月12日に『赤い光弾ジリオン』の放送が開始されてから、今日で35周年を迎えました。後に「プロダクションI.G」を立ち上げる石川光久氏がプロデューサーを務めた本作は西久保瑞穂氏や押井守氏、黄瀬和哉氏など優れた才能が結集し、ハイレベルなアニメーションとして世に送り出され、今なお熱烈なファンの胸に宿り続けています。
石川光久氏の情熱が生み出した『ジリオン』

1987年4月12日に『赤い光弾ジリオン』の放送が開始されてから、本日(2022年4月22日)で35周年を迎えました。凄惨な戦いのなかでありながらも笑顔を忘れない魅力的なキャラクターたちの数々と、スタイリッシュなアクションシーンは、ふとした機会で『ジリオン』を目にした少年少女たちの心をわしづかみにしました。
『ジリオン』という作品は、何が素晴らしかったのでしょうか。
JJ・チャンプ・アップルの3人が繰り広げる、戦いと日常の描写でしょうか。
若き日の関俊彦さん、今も当時も頼りになるお兄さんが似合う井上和彦さん、今は亡き水谷優子さんと、本多知恵子さんの生き生きとした演技でしょうか。
JJとリックスの宿命の対決でしょうか。
未来を感じさせる世界観でしょうか。
ビッグ・ポーターやトライチャージャーなどのメカニックでしょうか。
当時の水準を軽く上回っていたアクションシーンでしょうか。
その他にもいろいろとあることは疑いようがありません。
しかし筆者は個人的に断言します。アップルの胸元こそ至高であると。
本気の冗談はさておき、1987年という時代において『赤い光弾ジリオン』のクオリティは、他の作品と比較すると明らかに飛びぬけていました。なぜ、『ジリオン』は高いクオリティの作品となったのか。それは本作でプロデューサーを担当した、石川光久氏の熱意が生み出したものといっても過言ではないでしょう。
『ジリオン』のアニメ化企画が動き出したのは、1986年の11月ごろ。放送まで半年もないタイミングでした。ちょうど1986年の秋にセガ・エンタープライゼス(現:セガ)から「超高速光線銃ジリオン」が発売されており、これを受けて読売広告社とセガの間でアニメ化の企画が立ち上がりました。
企画は読売広告社からタツノコプロへと持ち込まれましたが、当時のタツノコプロは『タイムボカン』シリーズなどを生み出した1970年代の勢いを失っていました。
アニメの設定は存在しない状態で「明日までに企画書を」と言われた植田もとき氏と関島眞頼氏がひと晩で企画書を書き上げ、企画名『シューティングファイター ジリオン』が誕生したものの、タツノコプロの経営状況は悪化し優秀なスタッフが次々と退職しており、『ジリオン』に力を入れるのは難しい状況だったのです。
しかしここで手を挙げたのが、石川光久氏でした。