ファミコン本体はないけどソフトは持っていた…昭和少年の懐かしゲーム事情
1980年代に、ファミコンブームが吹き荒れました。しかし、本体を買ってもらえなかった子供も少なからずおり、そうした子供たちはどうやってファミコンを遊ぶかと試行錯誤しました。そんな、昭和時代のゲームライフ・サバイバルを振り返ります。
「持っていない」子供たちが見出したファミコンチャンス

1983年7月に発売された「ファミリーコンピュータ」は当初から注目を集め、1985年にリリースされた『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットが決定打となり、他の追従を許さぬ大躍進を遂げました。
ですが、どれだけ大人気であっても、当時全ての家庭にファミコンがやって来たわけではありません。まだコンピュータゲームそのものの認知度や理解度が低く、購入を許可しない親も少なからずいました。また自力で買うにも、小・中学生だとなかなか手の届かない値段です。
ゲーム機本体がなければ、当然ゲームソフトは遊べません。しかし、「持ってないからしょうがない」と諦めるには、ファミコンはあまりにも魅力的でした。そこで当時のゲーム少年たちは、次第に「本体を持ってなくてもファミコンソフトを遊ぶ方法」を見出していきます。
ファミコンに惹かれた当時の少年たちは、どのようにして「本体未所持」という過酷な環境を乗り越えていったのか。当時の少年たちが歩んだ、ゲームライフ・サバイバルの一端に迫ります。
●ファミコンソフトを持ち、友達の家を渡り歩く「放浪プレイ」でクリアを目指す!
自分の家にないのなら、友達の家で遊べばいい。これは、最も確実なゲームサバイバル術といえます。この手段は現代でも通じますが、今と当時で大きく違う点は、セーブデータの取り扱いにあります。
現在のゲームのセーブデータは、本体内に記録するか、オンライン経由でサーバーに置かれるかが主流です。ですが当時のファミコンソフトは、文字入力によるパスワード(「ふっかつのじゅもん」など)か、ゲームカセット内の保存(バッテリーバックアップ)という形でした。
パスワードないしゲームソフトを持参すれば、友達のファミコンでも「自分のプレイデータ」で遊ぶことが可能……このシステムを利用し、ファミコンを持っていないのに、友達の家を渡り歩いて『ドラゴンクエスト』をクリアした猛者もいました。
●自分が持ってなくても、兄・姉が持っていればチャンスあり!
こちらは家庭環境に左右されるゲームサバイバル術ですが、自分ではなく、兄や姉が持っているファミコンを遊ぶという手もありました。ただし、兄弟・姉妹の関係性に大きく左右されるため、仲が悪いと成功率は絶望的。むしろケンカの火種になりかねません。
そうした場合でも、兄や姉が留守なら、相手が帰ってくるまでの限られた時間を活用するファミコンチャンスが訪れます(無断借用ともいいます)。勝手に使ったことがバレると厄介なので、常に玄関を意識してプレイ。少しでも音が立てば、迅速に、かつ痕跡を残さぬよう慎重に片付け、ソファにダイブして素知らぬ顔です。
また、数年に1度だけビッグチャンスが訪れることも。それは、兄・姉の修学旅行です。この期間は間違いなく数日帰って来ないので、ファミコン三昧が決定。綱渡り感ゼロで、ファミコンライフを心ゆくまで満喫できます。