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意外と知られていない『パックマン』の凄すぎる偉業3つ 視聴率が50%を超えた!?

ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)が手掛けたアーケードゲーム『パックマン』は2022年で生誕42周年。国内の大ヒットのみならず、アメリカでの認知率が約9割を超える人気ゲームキャラクターにフォーカスし、パックマンがこれまでに達成した偉業を3つご紹介します。

生誕42年・総売上140億ドル以上『パックマン』の偉業とは

『パックマン』 PAC-MAN TM&(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
『パックマン』 PAC-MAN TM&(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

 黄色のまん丸ボディーにクリっとした黒目が特徴的な『パックマン』。彼は1980年5月22日に同名のアーケードゲームでデビュー後、国内のみならず海外でも瞬く間に支持を獲得し、一気にビデオゲーム業界を席巻する人気キャラクターへと成長しました。

 その影響力は衰えることなく健在で、企業IPとのコラボレーションやライセンスグッズ販売、シリーズの名作を収録した復刻タイトルの制作……などなど、40年を越えた今もなお存在感を余すところなく発揮しています。シリーズ全体の総売上は141億ドル以上とも言われていて、現在はGoogle検索で「パックマン」と入力するとスマホやPCで簡易版がプレイできる仕組みも誕生しています。

 今回はそんな歴史ある「パックマン」シリーズに焦点を当て、とりわけ世間を賑わせた3つの偉業について振り返ります。

●最も成功した業務用ゲーム機としてギネス認定

 迷路内に置かれたエサ(ドット)を食べ続け、時には邪魔な敵をも食べ進む『パックマン』。同作は誕生間もない頃から人気を博し、ビデオゲーム業界のマスコット的存在として1980年代のはじめに爆発的なヒットを叩き出しました。アーケードゲーム以外にも家庭用ゲーム機やLSIゲームといった媒体へと移植され、そこへ派生タイトルも続々と加わり、『パックマン』はビデオゲームの歴史に名を刻む巨人になったのです。

 数々の功績が鍵となったのか、『パックマン』はギネスワールドレコーズから認定を受けることに(2005年)。具体的にはアーケードゲームの販売台数(約30万台)が要因となり、「最も成功した業務用ゲーム機」という称号が授けられました。なお同シリーズ作品かつ北米でパックマン以上の人気を見せた『ミズ・パックマン』は、アメリカ・ニューヨーク州の博物館が運営する「世界ビデオゲームの殿堂」に選出されています。

●『パックマン』をモチーフにした楽曲(シングル)が売上100万枚

 海を越えた海外、特に北米で数え切れないほどの人々に愛された『パックマン』の盛況ぶりはビデオゲームに留まることなく、ライセンスグッズやさまざまなメディアへ波及していきました。

 1982年には北米の音楽グループ「Buckner & Garcia」(バックナー&ガルシア)が「パックマンフィーバー」をリリース。こちらは文字通り『パックマン』の一大ブームを題材にしており、「Cause I got Pac Man Fever.It’s drivin’ me crazy.」というフレーズで当時のパックマン人気を高らかに歌い上げていました。ビデオゲームがモチーフという1980年初頭において珍しい楽曲でしたが、シングル売上100万枚を達成すると、そのままビルボードチャート最高9位にランクインする快挙を成し遂げています。

●TVアニメの視聴率が50%超える

 北米において日本以上の知名度を誇った「パックマン」は、1982年に早くもアニメ化を果たしています。その名も『ザ・パックマン・ショー』(米ABC)。作中では主役のパックマンをはじめ、妻のミズ・パックマン、子供のパックベイビーらが登場し、彼らとゴーストとのコミカルな戦いが中心に描かれました。

 1982年から約1年間にわたって2シーズンを展開した『ザ・パックマン・ショー』は、驚くべきことに最高視聴率56%をマーク。また、同時代にはアメリカ・テキサス州にテーマパーク「パックマンランド」が作られたほか、そのムーブメントを称して「パックマンは80年代のミッキーマウス」という言葉も生まれました。

(龍田優貴)

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