6月16日は「スペースインベーダーの日」 日本文化にもたらした意外な功績とは?
『スペースインベーダー』が残した意外な功績

前述した通り、「インベーダーブーム」で世の中が大きく変化したことは多くありました。まずはゲームセンターが大量にできたことです。流れ的にはアップライト型のインベーダーゲームだけが設置された通称「インベーダーハウス」という施設が誕生し、そこへ徐々に別なビデオゲームも置かれるようになり、やがて今のゲームセンターの形へとなりました。
こういった施設ができても順番待ちで行列ができることも少なくなく、やがて喫茶店やスナックといった場所のテーブルがテーブル型のインベーダーゲームの筐体に代わっていきます。この当時のインベーダーゲームの筐体はおよそ50万円前後でしたが、その収益は1日で2~3万円だったそうですから元金は1か月もあれば回収でき、タイトーに注文が殺到する事態となりました。
この喫茶店などにテーブル型ゲーム機を置くという方法は、『ブロックくずし』の頃からあったそうです。それができたのも元々タイトーがジュークボックスの輸入販売で、各飲食店にコイン投入式機械をセールスしていたことがきっかけでした。このことが「インベーダーブーム」をけん引する一因だったことは間違いないでしょう。
しかし、当時のタイトーでは発注に対応できるほどの受注力がなく、やむを得ず他メーカーとライセンス契約して出荷数を増やしたそうです。この他にも違法なコピー品も半ば放置される形で製造され、純正品が約10万台、ライセンス品が約10万台、コピー品が30万台ほど出荷されました。
ちなみに、この大量に作られた『スペースインベーダー』の筐体をブーム後の時期に安く大量に購入した孫正義さんは、アメリカに輸出することで若くして億単位の純利益を上げたそうです。
また、このブームでもっとも打撃を受けたのがパチンコ業界と言われていました。それを打開したのが「フィーバー」と呼ばれるシステムで、ドラムが回転して図柄がそろうと大当たりとなる今では当たり前のギミックは、もとは『スペースインベーダー』に対抗するために生み出されたそうです。
こうして一大ブームとして昭和の歴史に偉業を刻んだ『スペースインベーダー』でしたが、そのブームは1年ほどで終息を迎えました。その理由はいくつか考えられますが、ひとつに『スペースインベーダー』が置かれたゲームセンターは不良のたまり場というレッテルが貼られたことです。
もうひとつは各メーカーがこぞって『スペースインベーダー』以上のビデオゲームを世に送り出してきたことでしょうか。たとえばナムコの『ギャラクシアン』は映像や動きなど、より進化したシューティングゲームとして話題になりました。
そう考えてみると、「インベーダーブーム」により子供たちがゲームセンターに行くようになり、後のファミコンブームへとつながり、現在のeスポーツが生まれた最大の要因だったと考えられます。つまり「インベーダーブーム」が現在に至る歴史に与えた影響は計り知れないと言えるでしょう。
(加々美利治)