TVじゃ放送できねーよ! 改変前が濃厚すぎた天才・石川賢のマンガ版『ゲッターロボ』
「人類を悪から守るためなら、多少の犠牲は問題なし!」という、人の命が軽すぎるパンチの利いた世界観で展開されるのがマンガ版「ゲッターロボ」シリーズです。その容赦なさ過ぎる正義のヒーロー像を振り返ります。
大臣暗殺を企んでいた過激派リーダー、ゲッターチームに転職!
数あるスーパーロボット作品のなかでも、異彩を放っているのが『ゲッターロボ』シリーズでしょう。1974年から始まったTVアニメシリーズは、3機の「ゲットマシン」が変形、合体して、空中戦を得意とする「ゲッター1」、ドリルを備えスピードで翻弄する「ゲッター2」、足はキャタピラで海中で怪力を振るう「ゲッター3」の3形態となる新機軸がちびっ子たちを魅了しました。
その影響力のスゴさは、後にどれだけのスーパー合体ロボや、ドリルを持つロボが登場したかを数えれば分かります。『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『天元突破グレンラガン』も、『ゲッター』なしには考えにくかったことでしょう。
その一方で、『ゲッター』は最初のTVアニメ以上に「原作版」=マンガ版が存在感を放っています。おもに石川賢先生が手がけた(正確には、『ゲッター』は永井豪先生との共同原作)マンガは、やがて1本の時系列を持つ「ゲッターロボサーガ」へと発展し、『真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日』などのOVAや、ゲーム『スーパーロボット大戦』シリーズが準拠するところとなっています。
初代『ゲッター』と『ゲッターロボG』までは、おおむねアニメ版と大筋を同じくしています。とはいえ、『ウルトラマンタロウ』のコミカライズを血まみれにした(タロウが怪獣の口を引き裂きます)石川先生が、自らの原作で手加減するはずがありません。
よく話題になるのが、ゲッターチームのひとり「神隼人」がやった「目だ 耳だ 鼻!」でしょう。この世界では、隼人はもともと過激派学生のリーダーであり、大臣の暗殺を企んでいました。それに恐れをなした配下の構成員が逃げようとすると隼人は、ひとりは顔の皮を剥ぎ、もうひとりは目、耳、鼻の順番で「粛正」していきました。
そのような隼人がゲッターチームの仲間になったのも、正義の心に目覚めたというより、「恐竜帝国」というヤバい連中が仲間の学生を食っていたからで、少なくとも最初は「ハチュウ人類に食われたくないから」です。無理やりマシンに乗せられて「なんでおれがこんなことをしなきゃならないんだ!!」と心の底から嫌がっていました。
リーダーの「流竜馬」も、隼人と比べればマトモな人間に見えるかもしれませんが、それは単なる気のせいです。空手家だった父親が日本全土の武道家から道場破り扱いされたことに復讐するため、試合会場へ乗り込んで審判ごと血祭りにあげるという、こちらもなかなかの人格をしています。一応は倫理観らしきものもありますが、一方で野犬の首を容赦なくはねていました。
そもそも彼らをスカウトした「早乙女博士」も、恐竜帝国から人類を守るため、小さな犠牲どころか自分の実の息子(脳を乗っ取られていた)を躊躇なく焼き殺しています。敵を見たら考えるな、すぐ倒せと言い切っていて、竜馬をドン引きさせていました。
もっともTVアニメ版に近くて親しみやすいのが「巴武蔵」でしょう。昨今では見かけなくなった「太めで大食いで気が良い」キャラクターであり、このメンバーのなかでは常識人に見えます。
その武蔵は身体が頑丈ということで、腹に穴を開けられるような過酷な扱いが多く、さらにはTVアニメと同じく最後は死亡してしまいました。
とはいえその最期は、たったひとりでゲッターロボに乗って出撃して恐竜帝国の「メカザウルス」たちを足止めし、ゲッターの腹からゲッターエネルギータンクをえぐり出して無理心中という、壮烈なものです。死亡エンドではあるものの、主役3人のなかで一番優遇された結果、敵を道連れにするというおいしい見せ場を与えられた、という見方ができるでしょう。
なお、石川賢マンガの常として生死の境はユル目のため、後の「ゲッターサーガ」でも常連さんとなっています。