【シャーマンキング30周年への情熱(3)】複数のシリーズ作を同時期に提供。その構造的理由とは?
「少年マガジンエッジ」で武井宏之氏が連載中の最新作『SHAMAN KING THE SUPER STAR』と、ジェット草村氏によるふたつの作品は、ほぼ同時期に提供されています。武井氏本人が描かず、新たに原作を作ってまで並行して送り出されているのには、どういう理由があるのでしょうか?
「本線」を止めずに別エピソードを描く試み?

「シャーマンキング」シリーズの最近の作品では、「少年マガジンエッジ」で武井宏之氏が連載中の最新作『SHAMAN KING THE SUPER STAR』と、ジェット草村氏によるふたつの作品『レッドクリムゾン』と『マルコス』があります。同時期の別の場所を扱ったこれらの作品が、ほぼ同時に提供されているのにはどういう理由があるのでしょうか? なぜ武井氏は、新たに原作を作ってまで作品が並行的に存在することを選んだのでしょうか?
前回の連載記事では、物語の内容面から考察しました。前提として、歴代のシャーマンキング達による代理戦争「フラワー・オブ・メイズ」が行われるにあたり、今代と先代キングとの確執・対立をベースにした主人公の成長や、未来の展望などが描かれている作品であること。それらひとつひとつをしっかり掘り下げる必要があるなら、共通のベースを持っていても作品は分ける必要がある……ということを述べました。
しかし、そうであれば武井氏自らが順番に執筆していくやり方もあります。むしろ、通常のマンガはそうです。すべてがひとつの連載のなかで行われ、途中で過去エピソードが入ると、それを描いている間は本線の進行が止まります。それが長期に及ぶマンガもあります。描く量の問題だけなら、同じ方法を採ることもできました。
注目すべきポイントは、『SHAMAN KING レッドクリムゾン』と『SHAMAN KING マルコス』の執筆が武井氏ではないということと、両作品は武井氏が設定から内容まで細かく関わっていることです。
「シャーマンキング」を扱っているというだけで「原作」と表記されているのではありません。内容はもちろん、新規キャラクターのデザインも行っています。ジェット草村氏も武井氏の絵のイメージを崩さないように執筆し、読者の違和感を抑えようとしています。両氏に厚い信頼関係があることは明らかで、極論すれば武井氏がふたりいると言ってよいでしょう。となると、両作品は「本線を止めずに描かれている別エピソード」=「どちらも本線」ということになり、これによって理想を実現しようとしているのです。