1度観ただけで「一生、忘れられない」 『火垂るの墓』トラウマシーンに意見相次ぐ
Netflixでの『火垂るの墓』の配信決定のニュースで再びこの作品へ注目が集まっています。数十年前に一度観ただけにもかかわらず、いまだに忘れられないシーンがたくさんあげられていました。
一度観ただけで記憶から離れない衝撃

スタジオジブリ作品『火垂るの墓』が、2025年7月15日からNetflixで配信されることが発表され、再び作品への関心が高まっています。先日、マグミクス編集部で、『火垂るの墓』がTV放送を望まれるワケについて記事化したところ、「名作なのは分かるけど2度と観たくない」という声が多く寄せられました。
「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ」という清太の言葉から始まる、この作品は全編にわたって戦時の悲惨な現実がリアルに描かれます。とてもリアルだったためか、「数十年前に一度観ただけなのにいまだに覚えている」という声が相次ぎました。
まずは、「節子」がドロップ缶におはじきを入れて口に含むシーンです。このコメントは小学生のときに観た人の感想でした。そこまで恐ろしい描写じゃないだろう、と感じるかもしれませんが、小学生にとってアメではなくおはじきを口に入れる行為が不思議にうつったのでしょう。幼いながらも戦争の悲惨さをどこかで感じ取ったのかもしれません。
続いて、空襲で重体になってしまった清太と節子の母の姿です。血のにじんだ包帯で全身が覆われて息も絶え絶えな様子は、10年以上前に一度観ただけにもかかわらず鮮明に思い出せるほど、記憶に残っています。
視聴したときのトラウマを語る一方で、「ラストまで観られなかった」という声もありました。少しだけ描かれる節子と清太の楽しげなひと時と、それ以外の心えぐられるシーンの数々に耐え切れず、チャンネルを変えたり自室にこもったりした思い出を語る人も見受けられます。
高畑勲監督は、この作品を「決して単なる反戦映画ではない」と明言しています。それでも一度観ると、心から「戦争はイヤだ」と感じさせ、戦争について考えさせる作品なのです。
(マグミクス編集部)