『ゲ謎』の「血液銀行」は戦後に実在した 作中の胸クソすぎる「搾取構造」と関係している?
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』劇中に登場し、実在していた「血液銀行」は何を意味していていたのでしょうか。本編のネタバレありで解説しましょう。
「血の支配」への抵抗の物語でもある

2025年7月12日の「土曜プレミアム」(フジテレビ系)で、2023年に大ヒットしたアニメ映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が放送されます。本作はフィクションではありますが、終戦から11年後の1956年(劇中では昭和31年と表示)を舞台としており、その時代の「搾取構造」が物語に強く関わっていました。
なかでも、実在した「血液銀行」に関連する事実と、それが劇中の物語のどのような影響を与えていたのかを、本編のネタバレありでまとめてみましょう。
※以下、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の結末を含む本編のネタバレに触れています。
●実際に貧しい者たちが血液銀行へ「売血」をしていた
本作の主人公のひとり「水木」は、「帝国血液銀行」に務めています。1950年代後半、民間が運営していた血液銀行への「売血」を繰り返す人が続出した結果、血小板が少なくなり「黄色」にまでなった血が、肝炎などの副作用を引き起こすという社会問題が起こっていました。
当時の売血の値段は、牛乳びん1本分の200ccの血を抜いて500円ほどだったそうです。売血をする人びとの多くは定職に就けない人で、仕事にありつけなかった日に生活費を得ようと血液を売ることが習慣化してしまい、当時の調べでは1か月に70回以上も売血した人がいました。
ある肝疾患の専門医は、医学部生時代に血液銀行に潜入した際、青白い顔をした人が採血に並んでいた上に、肝炎のリスクを持った人が何度も採血するので輸血後に肝炎になる人が大勢いたとも話しています。1964年には暴漢に襲われナイフで刺された駐日アメリカ大使が、輸血がもとで肝炎になった「ライシャワー事件」も起こっていました。
『ゲゲゲの謎』の劇中では、帝国血液銀行のビル内で、階段で頭を抱えたり、うなだれて行列を作ったりしている人たちがいます。彼らは売血のために、健康を害していた人びとだったのでしょう。
●血液製剤「M」が意味しているものとは
さらに、劇中に登場する疲れもなく昼夜働くことができるという架空の血液製剤「M」は、「哭倉村」の「龍賀一族」主導で人間に迫害され続けた「幽霊族」たちを監禁した上で、その血液を文字通りに「搾取」して作られたものでした。そのMは、占領下の日本で接収した財産などを基に運用されていると噂された「M資金」や、覚醒剤であるヒロポンの主成分「メタンフェタミン」の頭文字から取られていると推測されます。
そして、「幽霊族の血を直接人間に輸血すると、生きたまま屍(しかばね)になってしまう」ため、哭倉村では「屍人(しびと)から採った血を精製することでMを作る」という、非人道的という言葉でも足りない所業がまかり通っていました。
この方法は、かつて普及していた「生血輸血・枕元輸血」も、示唆していたのかもしれません。寝ている患者のベッド近くに血液の提供者を寝かせ、提供者から注射器に採血した血液をただちに患者に輸血するその方法は、感染症検査などが行われていないため、梅毒などの深刻な病気を引き起こしてたそうです。
なお、売血の問題は「献血」の必要性を訴える学生運動にも発展し、1964年に日本政府は「輸血用血液を献血により確保する体制を確立」することを閣議決定しました。そして、1969年には買血による輸血用血液の供給が中止され、1974年には献血100%体制が確立し、現在の安全な献血システムに至っています。現在では売血も、生血輸血、枕元輸血も行われていません。
●搾取構造への抵抗、または否定の物語
血液銀行や売血、さらに血液製剤Mは、戦後の混乱期における、富めるものはより富を得て、貧しいものはさらに貧しくなっていく、「格差社会」または「搾取構造」のメタファーといえます。そして、『ゲゲゲの謎』で語られるのは、その搾取構造への抵抗、または否定の物語です。
そして、その搾取構造の頂点で弱者を踏みにじってきた龍賀一族の当主「時貞」に、水木は最後に「あんた、つまんねぇな!」という痛快な言葉を叩きつけました。水木のこの発言には、会社内での地位を高めようとし、そのつまらない権力を求めていた自身への批判の意味もあったのかもしれません。
●血の因縁からの「解放」の物語
さらに、ヒロインの「龍賀沙代」は「血に支配され続けた」存在です。沙代は時貞や長男の「時麿」から襲われて、近親相姦で子供を産まされそうになり、水木に東京に連れ出してもらう約束を取り付けようともするものの、実際はどこへ行っても搾取構造から逃れられないと分かっていました。絶望した沙代は龍賀一族を殺し続け、自身も血を流して絶命します。
そして、70年後……「ゲゲ郎(鬼太郎の父)」は、鬼太郎とともに沙代のいとこの少年「時弥」と再会し、彼を成仏させます。その瞬間に見えたのは、時弥と沙代が抱き合う光景でした。ここでの時弥と沙代は「幽体」であり、血の通った人間ではありません。だからこそ、刹那的にも「血の支配」から逃れられたという解釈もできるでしょう。
本作はさまざまな史実とフィクションをうまく交えて、戦後日本の搾取構造と、血に苦しめられた人たちの「鎮魂歌」として完成しているのです。
参考記事:
「血液事業の歴史」大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社
「血液事業のあゆみ」|九州ブロック血液センター|日本赤十字社
「『黄色い血』から献血へ、運動支えた学生団体が60周年で解散へ…『今の若者に思い託す』」:読売新聞
(ヒナタカ)
