「ホラ話」だからこそ胸アツだった!?『プロレススーパースター列伝』カブキ編
「ほとんど創作」だからこその功績

また変えたといえば、『列伝』の中での「カブキ」は東南アジアでのドサ回りの遠征に出され、シンガポールで対戦した「ガマ・オテナ先生」の一番弟子であるウォン・チュン・キムに敗れたことをキッカケに弟子入りし、少林寺拳法を学んでいくというストーリーなのですが、日本プロレスの東南アジア遠征に帯同したことはあるものの、実際の高千穂明久の初遠征先は後にスーパースターとなるアメリカが最初。
当然、架空の人物である「ガマ・オテナ先生」の一番弟子である「ウォン・チュン・キム」もこの世に存在しません。
ということからも、その後の「ジャパニーズ・デビル」としての空手スタイルでの活躍や香港での映画スターとの対戦、「ジャイアント馬場さんと猪木先輩のアイノコみたいな」巨人レスラーとの対戦などは、すべて創作と見るのが自然でしょう。もちろん「13種の毒草、毒キノコの粉末薬品を調合した」という毒霧の成分も然りです。
しかし、こうした梶原一騎氏のイマジネーションがさく裂した架空のストーリーこそが「カブキ編」をドラマチックかつ『列伝』屈指の名作に昇華させているのも、また事実。特にキム道場での特訓シーンはスピーディーに展開され、当時、イチ読者だった筆者の胸を熱くした覚えがあります。「必死の力」とは何かを学んだのは、この「カブキ編」です。
その他、現実と乖離した点を挙げると、じつはトラースキックをカブキに伝授したのは上田馬之助であるとか、極悪な「ダラ幹」として描かれている日本プロレスの芳の里社長にこそ、現実世界のカブキ本人は恩義を感じている……といったエピソードがあるのですが、ともかく「毒霧殺法を駆使した元祖ペイント・レスラー」というザ・グレート・カブキの功績は本物です。この先駆者なくしてその後のグレート・ムタも、TAJIRIも、現在の新日で活躍するBUSHIも存在しなかったと思います。
ほとんどが創作だからこそ、血湧き肉躍る物語が展開される「東洋の神秘! カブキ編」。このストーリーを思い描いた梶原一騎氏の脳内こそが、最大のオリエンタル・ミステリーといえるのかもしれません。
(渡辺まこと)