「ホラ話」だからこそ胸アツだった!?『プロレススーパースター列伝』カブキ編
80年代に活躍したプロレスラーたちのドラマを描いた『プロレススーパースター列伝』は、原作者・梶原一騎氏の創作エピソードがふんだんに盛り込まれていました。その最たるものが「ザ・グレート・カブキ編」。血湧き肉躍る物語は事実と異なれど、多くの読者を魅了していました。
「現実」よりダイナミックに描かれた凱旋試合

1980年から1983年まで小学館「週刊少年サンデー」で連載され、全13編のエピソードでプロレスラーの生きざまを描いた傑作、『プロレススーパースター列伝』(作:梶原一騎 画:原田久仁信)ですが、虚実織り交ぜたエピソードの、そのほとんどが梶原一騎氏の創作であることは既にマニアの間では周知のことだと思います。
もちろん、当時は多くの小学生や中学生が『列伝』のエピソードを信じ切っていたのですが、だからこそ、プロレスの魅力にとりつかれ、マニアの道を歩みだした方もいるでしょう。またこの『プロレススーパースター列伝』には名言・名シーンも多く、大げさな物言いをすれば「人生」の訓示を教えてくれる作品となっています。
その数ある『列伝』の中で、最後のエピソードとなったのが「ザ・グレート・カブキ」の活躍を描いた『東洋の神秘! カブキ』編です。おそらくはこのストーリーが最も“創作指数高め”で、他の『列伝』が6~7割がた「ウソ」だとすれば、ともすれば「カブキ編」は内容の8割がウソかもしれません。
しかし、この「カブキ編」。梶原一騎氏の創作のパーセンテージが多かったからこそ、現実よりドラマチックに「ザ・グレート・カブキ」の活躍が描かれていたともいえます。
特に、「昭和58年2月11日──全日本プロレス『エキサイトシリーズ』後楽園大会」で行われたカブキの凱旋試合は、現実より『列伝』の方が好勝負。ジム・デュランを相手にまずは「毒霧」を顔面に噴射し、空手殺法やキャメルクラッチを繰り出し、エンズイギリで仕留めるという、かなりスピーディーな展開です。
ところが現実のカブキの試合は(当時の個人的な感想ですが)、結構期待ハズレ。実際、実況を担当した日テレの倉持アナウンサーも「まだまだグレート・カブキのですねぇ、恐怖の技というのがぁ、この後、出てくると思いますが……」と言った途端に、あっけなくフィスト・ドロップでフィニッシュし、当時の会場をザワつかせた記憶があります。この空気を察知して、梶センセーも試合の結末を変えたのかもしれません。