『ドラクエ』以前、「勇者」や「魔王」はどんな意味で使われていた?
「魔王」「勇者」という言葉を聞くと多くの人はRPGの世界を思い浮かべることでしょう。もちろんRPGが登場する以前からこの言葉は存在していました。果たしてどのような時に使われていたのでしょうか
「勇者」と「魔王」のイメージはどのように変化した?

「勇者はひどく赤面した」
かの有名な太宰治『走れメロス』の最後の一文です。さて、ここでいう勇者とはもちろんメロスのことであり、鎧と剣を装備した、私たちが思い描く「勇者」ではありません。勇者とは本来文字通り「勇気のある人」の意味でありますが、気づけばファンタジー世界における「選ばれし者」という意味合いで使われはじめて久しいです。
「勇者」だけではありません。「魔王」という言葉から喚起されるイメージも、昔からの用法から離れ、やはりファンタジー世界に吸収されてしまいます。この記事では「勇者」と「魔王」、このRPG世界を構築する上で重要なワードがそもそもいかなる意味で用いられてきたのかを解説します。
●「論語」にもある勇者という言葉
ファンタジー世界に「勇者」という語が投入される前、そもそも「勇者」はどのように用いられていたのでしょうか。例えば1220年代頃に成立した『平治物語』(アニメが話題の『平家物語』とは別)のなかで「忠宗・景宗も、随分血気の勇者にて」という一説が登場します。全くの私見ではありますが、この頃にはすでに勇猛な武士を讃える言葉として定着していたかのように見受けられます。歴史をさらにさかのぼれば、「論語」のなかに「知者は惑わず勇者は懼れず」という有名な言葉にぶつかります。紀元前から「勇者」という言葉自体は用いられていました。
ではいつから私たちは「勇者」と聞くと「魔王を討伐する選ばれし戦士」をイメージするようになったのでしょうか。例えばRPGの礎を作った初期テーブルトークRPGではファンタジー世界こそ提示されますが、「勇者」の概念は希薄です。
やはり現在における「勇者」のイメージの源流を生み出したのは1986年に始まる「ドラゴンクエスト」シリーズであることは間違いないでしょう。とりわけ384万本を売り上げ社会現象になった『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の影響は決定的です。ドラクエの生みの親・堀井雄二氏もインタビューにおいて、自身が「勇者」というキャラ設定」を浸透させたことに関しては肯定的です。
●信長は「魔王」だった? 実は仏教用語だった「魔王」
さて「ドラクエ」シリーズによってイメージが定着した言葉は「勇者」だけではありません。「魔王」という言葉もまた同シリーズによって大きくイメージが変化しました。
「バラモス」や「ゾーマ」が登場する以前、「魔王」はどのような意味合いで使われていたのでしょうか。「魔王」という言葉は、もともとは仏教用語でした。人びとが仏道にはいるのを妨げる者を意味しており、転じてそこから人を悪の道に誘い込む魔物という意味合いに変化しました。(出典:精選版 日本国語大辞典)。
また日本の歴史のなかでは自らを「魔王」と称した武将が存在します。その武将こそ、織田信長に他なりません。俗説ではありますが、比叡山延暦寺をはじめとする宗教勢力に対する立場表明として、仏教修行を妨げる天魔を統べる存在「第六天魔王」を名乗ったとのこと。ここでいう「魔王」とは「仏敵」を強調する意味があります。
またシューベルトが1815年に作曲した「魔王(Erlkonig)」の意味合いも非常に気になるところ。熱病に冒された息子がしきりに「魔王」の存在を父に訴えるこの歌曲、音楽の教科書にも採用されているため耳にこびりついているという方も多いのではないでしょうか。原詩における「魔王」はどちらかと言えば「妖精の王様」といったイメージであり、果たして「魔王」と訳してよかったのかどうかは未だに議論の余地があるとか。
史上最高の知名度を誇る武将から、クラシックの名曲まで「魔王」のイメージは紆余曲折を経て、やはり『ドラクエ』によって固まりました。今では「勇者が魔王を倒す」という構造は物語の原風景として私たち日本人に浸透しており、次の百年で「勇者」「魔王」の意味がどう変わっていくのか、次の世代に定点観測してもらいたいと思います。
(片野)